2004,日本
配給 松竹
スタッフ
監督・脚本・撮影・編集 紀里谷和明
プロデューサー 若林利明
脚本 菅正太郎、佐藤大
美術 林田裕至
撮影 森下彰三
照明 渡部嘉
衣裳 北村道子
音楽 鷲巣詩郎
主題歌 宇多田ヒカル『誰かの願いが叶うころ』
キャスト
伊勢谷友介
唐沢寿明
麻生久美子
寺尾聰
樋口可南子
小日向文世
宮迫博之
佐田真由美
概要
タツノコプロが誇るSFヒーローアニメを原作とした実写化映画。戦争や公害で荒廃した世界を舞台に、新造人間として生まれ変わった東鉄也が奮闘する。終末へと向かう世界を止められるのか。監督は本作で長編映画初監督となった紀里谷和明、主題歌は監督の当時の妻である宇多田ヒカルが担当。
たった一つの命を捨てて
生まれ変わった不死身の身体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャーンがやらねば誰がやる
スチームパンク風な世界観と派手なアクション、そして原作オマージュのナレーションで飾られた本作の予告編を見て、わりと心躍った人も多いのではないかと思う。しかし、本編で描かれるのはとんでもないほど厭世的な物語で、そこには上記の口上のようなヒロイックな要素はほとんどない。いや意識的に廃していると言ってもいいだろう。ヒーローアニメ原作とは思えないほどの凄惨な展開には原作ファンのみならず面食らったに違いない。原作アニメとは似ても似つかないほどに変更や脚色が施された本作の一般的な評価は、文春きいちご賞を受賞したりとあまり高くない。
ここからはネタバレもしていきます!
ふと、そんな本作を見たくなって最近久しぶりに鑑賞したのだけど、相変わらずの体感時間の長さだなぁと再確認した。たっぷり時間を使った演出が全編に散りばめられていて、どのシーンも切りたくないという監督の作品への愛を垣間見させる…と言えば聞こえはいいが、要所でくどいなぁと感じてしまったのも事実で、編集次第でもっとよくなったろうなと思う。約2時間20分の上映時間で、主人公の東鉄也が50分経ってもキャシャーンにならないのはどうなのよとか、娯楽映画としてのバランスは歪で賞賛しづらい。が、この映画を嫌いになれないのだ。
個々の要素はそれなりに楽しめたので、よくネットで見かけるような「クソ映画」と切り捨てるには惜しい作品だなと率直に思った。まず、ビジュアルに関しては素直にすごいなと思う。全編暗い色彩で見づらい場面は多々ありつつも、紛争地帯の場面などではマッチしているし、戦闘場面でのアニメ的なカット割りはかっこいい。キャスティングや美術もハマっているようにわたしには映った。さすが写真家というべきか。
とりわけ、わたしが本作でおもしろく感じた要素はこの物語の悲劇性だ。そしてその悲劇性がヒーローアニメ原作でありながらも、ヒーロー物のアンチテーゼを描き出すという倒錯した魅力を持たせている(先述した通り映画としては歪なバランスだけど…)。
物語の序盤で戦地に行った鉄也が戦死し、その魂が愛する人のもとを転々と訪れるのだけど、突如として父の東博士が新造細胞のプールに息子の鉄也を浸し始める。結果、鉄也は再生するが、生き返る直前までその魂は「やめてくれ」と懇願し続けていた。本作が、原作のように自ら平和のために志願し、雄々しく戦う者の英雄譚ではなく、望まない生を受け、運命に翻弄される者の悲劇であることを予感させる。
新たに生を受けて流浪するキャシャーンだが、彼の活躍が大局に影響を及ぼすことはほとんどない。それどころか彼の決意や覚悟を嘲笑うかのように、運命の流転は彼を悲劇へと誘っていく。ヒロイックな展開になりそうなフリを随所に散りばめながらも、それらをことごとく裏切っていく展開によって悲劇性に拍車をかける。このことが印象的に描かれているのは、終盤、巨大時限爆弾(と思われるもの)を停止させようとキャシャーンが奮闘するシークエンスだ。刻一刻と迫るカウントダウンの中で、恋人のルナに戻ってくることを約束したキャシャーンは、荒野を文字通りのたうち回りながら目標へと向かう。辛くも時計の針にたどり着き、長針と短針を重ねさせまいと精いっぱいの力で止めようとするが、そのがんばりもあっけなく、針は零時に重なる。その後、爆発は免れたが、それも結局は、零時に重なったときにブライキングボスの根城が爆破されたからだった(厳密には説明がないから推測だけど)。キャシャーンがどれだけがんばっても状況は勝手に転がっていく、そのあまりのあっけなさに鑑賞時には乾いた笑いが出るほどだった。
結局、力には力をというやり方ではさらに大きい事象に飲み込まれてしまうだけ、このことをキャシャーンとして新生した鉄也は何度も経験していくことになる。戦争の主役は新造人間の長であるブライキングボスと国を代表する上条ミキオで、力を持っているはずの鉄也本人は大局を左右できる立場にもなければ、影響を与えることすらできなかった。ヒーローとして完全無欠の力で悪をなぎ倒すどころか、鉄也がしてきたことは降りかかる火の粉を払うように、戦わざるを得ないから戦ったというだけなのだ。
憎しみやいきすぎた欲望のループ、その結果生まれた新造細胞、止められない戦争、終わりを迎えつつある世界。全てに諦めを抱いた鉄也は最後に自死を選ぶ(鉄也自身の新造細胞の内圧を解放したからなのか突如爆発する)。やはりこの場面もあっけない。
レビューのタイトルに絡めて総括しよう。「キャシャーンがやらねばならなかったのか」と題して本作のレビューを綴ってきたが、内容を見ていくとこう言えるだろう。「キャシャーンがやらざるを得なかった」と。原作アニメでのOPナレーション「キャシャーンがやらねば誰がやる」は雄々しいほどに使命感に満ちあふれた口上だ。しかし本作の鉄也の姿は、受動的に「やらざるを得ないからやった」だけだ。言うなれば、原作アニメでは使命や信念など積極的な必然性が描かれるが、本作では力を持たされた者の消極的な必然性が描かれている。そしてその姿は運命に抗おうとするも、流されてしまう悲劇として受け取ることができるのだ。
余談・雑記
ずいぶん前に、映画好きな先輩に「『キャシャーン』おすすめだよ」と言われて鑑賞したのを思い出して、改めて鑑賞しました。どんな映画も見方次第なのかもなぁと、改めて思った次第です(個人のキャパやら好みはあるけども)。その先輩のように、世間的な評価は低くとも心の琴線に触れた映画を魅力的に紹介できるようになるのが今の目標ですねぇ。
本作ですが、皮肉に皮肉を重ねるような作風はけっこう好きです(ヒーローアニメ原作でやることかという批判もありそうですが)。
ルナの父である上月博士が今わの際に「君が背負うべき運命はあまりに残酷だ。しかし、これには意味があるはず。絶対にあるはずなんだ。」という言葉を残すんですが、最後まで見るととんでもなく空虚で、皮肉な言葉だなってのがよくわかります。
鉄也がほとんど大局に影響を与えられない中で奮闘する姿は滑稽にも映ってしまい、重苦しい展開で、メッセージも痛切なのにふと笑えてしまうようにも見えるのが、本作の皮肉さを増幅させてましたね(狙ってやったのかはわからないですが…)。チャップリンの「クローズアップで撮れば悲劇、ロングショットで撮れば喜劇」という言葉をなんかふと思い出したり。
あとは、ブライキングボス(作中で名前呼ばれないけど!)を演じる唐沢寿明の熱演は見物です!立ち振る舞いもけっこうすきですが、とくに声の演技がかっこいいなと(さすがトイ・ストーリーのウッディ!)。予告でのOPナレーションの口上も様になってました!
今回は思い出深いタイトルのレビューという忘備録らしい記事ですね笑。旧作のレビューもちょこちょこ上げていきたいなと思っています。
ということで、マミヤ(@mamiya_7)でした!
それでは、また。