マミヤの忘備録

ラップ、映像、その他諸々について記したいなぁと思ってます。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第11話「わたしたちは」

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あらすじ

 トップスタァとなったひかりは誰のきらめきも奪わず運命のレヴューを開幕―――。

 次の日にはひかりは退学し、姿がどこにも見当たらなくなる。華恋は色々な手段を取るが、ひかりは見つからない。

 時間は経ち第100回聖翔祭が近づくが華恋は舞台への気持ちが冷めていることを自覚し、身をもってひかりの辛さを痛感する。

 華恋はひかりが残した英文のスタァライトの戯曲本を訳していくが、そこで舞台とは違う展開があることに気づく。学校へと行き、かつてエレベーターがあった場所で想いの丈をぶつける華恋、すると地下の会場への道が開かれる。7人の舞台少女の想いを受け取りながら、華恋はひかりの下を目指す―――。

 

 

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感想

 ひかりとの別離を経て、華恋やひかりを取り巻いていた環境の変化が描かれた。印象的なのは、きらめきを失っていく華恋もそうだが、環境がひかりなしでも動き変わっていくことのリアリティだ。

 ひかりがいなくなることは華恋にとってはあまりにも突然で悲しい出来事だが、対外的には退学手続きをすませキレイに学園から去った人の一人という扱いで、華恋の激情と反比例するかのように、環境や社会といったものは冷たく起こったことを華恋に突きつける。

 華恋はさまざまな手法でひかりを探すが、その度に現実を突きつけられるという展開は巧みだった。先生に問い合わせても、警察に駆け込んでも、ひかりの古巣に手紙を送っても、手がかりは見つからずその度にひかりの不在を認識する。そしてそこから華恋のきらめきが失われるというロジックも面白い。華恋の再生産の原動力はひかりとの約束だ。ひかりにとっては誤算だったのかもしれないが、結果的にきらめきを奪うことになるのはなんと皮肉か。しかしそのおかげでひかりの置かれた状況を自覚するという流れは物語がしっかり連関しており、悲しい話ではあるものの展開を見ていて気持ちが良い。

 華恋はスタァライトの英文を訳し始め、舞台との違いに気づく。それは星を掴んだクレールが罰として塔に幽閉されているというもの。それをヒントにひかりはオーディション会場にいると予感し、華恋はバールのようなものでエレベーターがあった壁を叩くが、ここが一番現実を感じる瞬間だった。叩く度に壁が削れ、その奥にはただ分厚い壁がさらに続くことを思わせる描写、あまりにも非情だがリアリティを一番感じた。

 華恋の想いが通じ、学園内に電気が灯もり、エレベーターが出現。この“光”が点いていく場面もひかりを思わせ、クライマックスのテンションを高揚させる。そこから7人の舞台少女の言葉を受けながら、幕間として流れるのは『舞台少女心得』だ。「わたしたちは舞台少女」という歌詞がある。彼女たちはみな現実に生きているが、舞台の上に立てば自らを脱ぎ捨て再生産し、舞台という虚構の中に身を投じる―――ひかりを救うには現実の中で対処するのではなく、もう一度舞台の上で連れ戻さなければならないことを示唆しているような歌詞だと思う。

 また、「舞台少女は何度でも生まれ変わることができる」とは真矢の言葉だが、虚構であったとしても舞台の度に新たな真実を演者や観客が宿していく、その気持ちこそがまさにオーディションに必要なきらめきなのだと思う。だからこそ華恋は情熱に導かれ、幽閉されたクレールという真実をあばき出し、ひかりの下へと続く道を見つけられた。

 舞台という虚構、しかしそこで注がれる気持ちこそ真実を宿し、観るものを魅了する。最後のレヴューの結末をしっかりと見届けたい。