マミヤの忘備録

映画やアニメの感想など自分の趣味について記したいなぁと思ってます。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話「レヴュースタァライト」

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あらすじ

 ひかりの運命の舞台。それは戯曲“スタァライト”を一人で演じることだった。共演者もなく、裏方もなく、キリン一人を観客とし、ひかりは石を積み上げ、それが星によって砕かれるシーンを繰り返す。

 やって来た華恋は、誰のキラめきも奪わないために一人、孤独に芝居を続けるひかりを見て涙を流す。たまらず言葉をかける。

「帰ろうひかりちゃん。私たちの“スタァライト”はまだ始まってない!」

 「どうして会いに来るのよ、会いたく、なっちゃうじゃない」

 芝居が止まり、舞台装置は動き出す。

 “スタァライト”を始めるために、最後のレヴューが開演する―――。

 

 

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感想

 外界の様子も要所に入れつつも、基本的には華恋とひかりの“スタァライト”が描かれた。

 賽の河原のように小さな星を積み、そのたびに大きな星に砕かれるというシチュエーションは、共演者もなく、裏方もなく、観客もなく、独りで舞台を演ずる主演―――死せる舞台少女としてあまりにもはまりすぎていた。

 本作は“繰り返し”というモチーフを要所に入れ込んでおり、最終話も例に漏れない。賽の河原のように星を積み上げる場面もそうだし、それに付随するフローラとクレールの台詞もそうだ。この“繰り返し”はゼロになってしまうことだけを描いているわけではない。同じ動きをしながら、しかし高みへと行く螺旋階段のように“積み重ね”も同時に描かれている。それは華恋とひかりのシーンだけではなく、今回の鍋パーティのシーンでも表現される。まひるがひかりの好みを熟知していたり、クロディーヌのフランス語を純那が聞き取れたりとそれぞれの素朴な成長を通して、日常という変わらないルーティンの中で変化し前に進んでいることがわかる。

 そしてレヴューシーンでも当然、“繰り返し”と“積み重ね”が描かれ、レヴュータイトルも“星罪のレヴュー”から再生産され“星摘みのレヴュー”となる。ここから戯曲は様変わりする。願いを叶えるために星を摘み、その罪によって想い人と離れることになった悲劇から、想い人と離れたとしても幽閉された塔へと立ち向かう物語になる。同様に華恋とひかりのレヴューも変化し、さらに2人だけでなく、オーディションの意味合いすらも再生産が成される。舞台少女たちがライバルの“キラめき”を自らの願いのために奪い合う罪人たちの物語から、互いに高め合い“キラめき”を灯し合う物語に昇華している。

 舞台少女の罪を一身に背負うひかりの覚悟、その象徴とも言える片割れの塔。そこに向かうため自らをさらに再生産した華恋のキラめきに呼応して東京タワーが現れるシーンは圧巻だ。“約束タワーブリッジ”―――二人の思い出の場所を、罪を背負い塔に幽閉されたひかりのもとに上るための舞台装置とすることで、観ているこちらも共鳴し感情が高ぶった。そしてまだ観ぬ物語―――再生産された“スタァライト”が披露される。

 ひかりのもとまで来た華恋は、ひかりが自分にとっての“舞台”であることを告白する。“舞台”とは他者との連帯があって初めて生じるものだ、それが一人芝居であったしても。役者の演技はもちろん、裏方の働き、観客の視線、様々なものが連関して初めてステージを織り成すことができる。

 演者が舞台に立つのは自らの夢のためだ。しかしそれは裏返せば誰かのためでもある―――その誰かが舞台少女たちにとっては運命の相手とも言えるだろう。それを今回の“再演”で舞台少女それぞれが自覚した。自分をキラめかす相手、自分がキラめかせる相手、それを自覚することで繰り返す日々の中で刺激し合い進化していった。

 “舞台”とは人と人とが織り成す関係性の中で紡がれるもの―――それをひかりとの再会、そして消失を経た華恋が自覚して、“スタァライト”を新たに生まれ変わらせる。舞台少女たちの関係を強く描き出し、彼女らの関係の中で編まれてきた物語だからこそ出せた結末だった。

 最後に少しだけ、観客としての言葉を添えたい。先にも書いたが舞台にはキャストやスタッフだけではなく観客も必要だ。それはキリンが劇中でも端的に述べていた。辛い物語であっても観るものが“求める”からこそ彼女らは演じる―――観るこちら側にもその責任を、つまり罪を背負わせるということだ。罪を自覚しながらもその先が観たい、良い結末を迎えて欲しい、とわたしは“望んだ”。そして観たい結末を観せてくれた、そのことに感謝したい。