マミヤの忘備録

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【映画感想】『クリード 炎の宿敵』"承認される"だけではなく"承認する"物語へ

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クリード 炎の宿敵 / Creed II

監督 スティーブン・ケイプル・Jr.

キャスト
マイケル・B・ジョーダン アドニスクリード
シルベスター・スタローン ロッキー・バルボア
テッサ・トンプソン ビアンカ・テイラー
フィリシア・ラシャド メアリー・アン・クリード
ドルフ・ラングレン イワン・ドラゴ
ロリアン・“ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ ヴィクター・ドラゴ

 

 

あらすじ

 ヘビー級王座を勝ち取ったアドニスは試合後にビアンカへのプロポーズを成功させる。夫婦となり互いの活動も順調な中、ビアンカの妊娠が発覚。

 守るべき者ができ、背中を追われる身となったアドニスにチャレンジャーが現れる―――それはかつて父・アポロを死に追いやったイワン・ドラゴの息子・ヴィクターだった。

 果たしてアドニスは王者の重責に耐え、家族への想いを守りきることができるのか。

 

 

感想

 『ロッキー4』が冷戦下のアメリカとソビエトの関係を作品に持ち込み、ファイター同士の個人的な想いと国家間の威信とを織り交ぜながら展開していたとするなら(少々迷走していたように思うが)、本作は徹頭徹尾、家族の話として展開されていた。両家族のバックボーン、営み、覚悟を描き、どのように這い上がり、ぶつかっていくのかに注力して描かれているところが"家族"というテーマをより浮き彫りにしていた。

 そしてテーマは"家族"だけではない。もう一つのテーマが前作との最大の違いとも言えるだろう。

 今回、フィラデルフィアが舞台としてあまり登場しない。フィラデルフィアと言えばロッキー・バルボアのホームタウンであり、弟子のアドニスにとっても自らをボクサーとして再生させた大切な土地だ。今回、ロッキーの静止を振り切り、ヴィクターの挑戦を受けたことで、師弟関係を解消し、この地を跡にする。これは物語を進めるためにも重要で、前作においてアドニスはだんだんと街のヒーローになっていく(顕著なのはトレーニングのランニングシーンだ)。本作ではすでに街から認められた状態からのスタートだからこそ、序盤で思い切って場所を移す。ボクサーとして住み慣れた土地を、ロッキーという半身を失った彼の危うさが最初のヴィクター戦まで描かれる。そして完膚なきまでに叩き潰されるのだが、その後のアドニスが再生する過程で直面するのが子どもの障害だ。娘は、ビアンカと同じく聴覚障害を患って生まれたことが発覚する。物語が"承認する"ことに舵を切った瞬間だ。

 父・アポロの背負った王者の重責に耐えられなかったこと、そして娘の障害を受け入れ難く感じたこと、様々な弱さをアドニスは受け入れ、認める。思えば前作は、妾の子であるアドニスが自分の存在を証明する―――周りに"認めさせる"物語だった。自らが「誤りじゃない」ことを見事に証明し、ロッキー自身の死生観をも変えた。今回はレッテルを貼られそれをはねのけたアドニスが、娘の生そのものを認める物語にもなっている。

 悩みの中で揺れ動くアドニスと対照的に妻のビアンカは肝が座っている。アーティストとして活躍する最中で妊娠が発覚するが、生むことを決断し、娘の障害に関してもアドニスよりも立ち直りが早かった。それも自身が聴覚障害のタイムリミットが迫っていることもあり、環境や境遇を受け入れざるを得ないことも関係しているように思う。彼女のシーンとして印象的なのは、悩むアドニスに一緒に戦っていると言葉をかけ、ヴィクターとの再戦時に入場アクトとして歌唱するところだ。敵地にてブーイング覚悟で前に踊り出る姿は力強い。彼女が先陣を切るこの流れはアドニスよりも先にあらゆることを認めたからこそより映える。

 ロッキーもまた自らの過去を認め進んでいく。前作から比べると随分前向きになっているが、それは自分自身のことに限った話で家族のこととなると話は変わる。そんなロッキーもアドニスの変化によって気持ちを揺さぶられる。"ロッキーの息子"の重圧に耐えられなかった息子、そして孫に会うことを決意する。今さら自分が父親面して認められるわけがない、という想いもあったのだろうが、それでも息子は遠出してやってきた父をねぎらい、迎え入れる。ここにもまた承認の物語がある。

 ドラゴ親子はどうだろうか。アドニスとロッキーとの因縁が深いのもあり、前作のコンランよりはバックボーンが語られたが、もう少しスポットを当てて欲しかった気もする。しかしその限られた描写の中でもドラマを色濃く残す。

 ヴィクターの勝利への執着は在りし日のアドニスと重なる。父・イワンがロッキーに敗れてからドラゴ親子は政治家だった母から捨てられ、二人はその恨みを糧に生きてきた。ヴィクターは、父が果たせなかった勝利と自身の存在の証明のためにアドニスとぶつかる。初戦、反則行為により惜しくも王座を逃すが、アドニスが絶不調だったとはいえ圧倒的な力の差を見せつけた。続く再戦では状況が一変。心身ともに鍛え直し自らの境遇や家族を受け入れたアドニスに対し、徐々にヴィクターは押されていく。初戦のときとは立場が逆になり、アドニスが王者として果たすべきことを自覚して攻め入り、ヴィクターの"母に認めさせる"という執着がプレッシャーへと変わる。ここに単純な身体差だけでは測れない人間の心の強さが垣間見える。家族や王座、守るべきものを重責に感じていたアドニスにとって今やそれらは自らを奮い立たす支えとなり、ヴィクターにとって支えだった"母への想い"は今やしがらみになる。現実でも起こり得るモチベーションの変化をドラマに落とし込み、互いに反転するような形で描くのは非常に巧みだった。

 文字通りの死闘の末、イワンがタオルを投げ込む。ヴィクターが限界なのは誰が見ても明らかだった。だからこそ敗けを認め、息子を生かすことを選ぶ。このシーンはこのワンカットを切り取っても美しいが、『ロッキー4』との繋がりを考えるとより印象深い。アポロを死に追いやったように、かつてのイワンはサイボーグのようなファイトスタイルだった。それがロッキーとの闘いの最中で血が通ったファイトになるが、結果として落ちぶれ、夢を託した息子にも厳しいトレーニングを課すようになった。自らの復讐のために再びサイボーグのようになったイワンが息子の命のために血の通った選択をするというのは、試合の幕引きとしても美しく、『ロッキー4』から続くイワンの物語の結末としてもふさわしいものだ。

 それぞれの物語が色濃い中で、しっかりそれぞれの答えを描いた展開は非常に秀逸だった。