マミヤの忘備録

ラップ、映像、その他諸々について記したいなぁと思ってます。

【アニメ感想】『DEVILMAN crybaby』繋ぐバトン。伝う涙。

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DEVILMAN crybaby

スタッフ
原作 永井豪デビルマン
監督 湯浅政明
脚本 大河内一楼
音楽 牛尾憲輔
キャラクターデザイン 倉島亜由美
デビルデザイン 押山清高
ラップ監修 KEN THE 390
アニメーション制作 サイエンスSARU
製作 アニプレックス、ダイナミック企画
協力 Netflix

キャスト
不動明 内山昂輝
飛鳥了 村瀬歩
牧村美樹 潘めぐみ
ミーコ 小清水亜美
シレーヌ 田中敦子
カイム 小山力也
ゼノン アヴちゃん(女王蜂)
長崎 津田健次郎
ワム KEN THE 390
ガビ 木村昴
ククン YOUNG DAIS
バボ 般若
ヒエ AFRA 

 

あらすじ

 "不動明"は秀でた能力があるわけではないが、人の悲しみに敏感な青年。部活の帰路で居候先の幼なじみ"牧村美樹"が不良に絡まれてるところを助けていると、幼い日に別れた親友"飛鳥了"が現れる。嵐のように不良たちを巻き、了に連れられて、"サバト"という名のドラッグパーティに潜入。了は悪魔の存在を証明するために来たという。狂乱の中で暴力が渦巻いていく中、明は人の心のまま悪魔の力を持つ"悪魔人間(デビルマン)"として覚醒する―――。

 

感想

 鬼才と名高い湯浅政明監督がメガホンを取るだけあって、サイケでスピーディな映像になっていました。現代アレンジされたデザインや独特なデフォルメはさることながら、物語の端折り方やともすればギャグにもなりかねない描写も詰め込まれており、現代の黙示録の世界がそこにはありました。

 

ここからは結末部にも触れますのでご注意を!

 

 このバイオレンスで狂乱に満ちた物語の中で印象深いのは、"繋ぐこと"です。校内随一のスプリンターである牧村美樹は4継リレーにこだわりを見せていますが、自身の記録以上に部のみんなでバトンを繋いで勝つことをより大事にしていたように思います。そんな彼女が言葉を紡ぎ、デビルマンたちを繋ぐバトンになったことは象徴的でした。リレーが物語のモチーフになっているのもあり、走るシーンが多いのですが、陰鬱な気持ちになっていく展開の中でどこかさわやかな気持ちにさせてくれました。黙示録の中で青春映画が展開されているというか、絶望的なことに変わりはないけどそれだけじゃなく、希望みたいなものが見えました。

 また、不良たちを本作ではラッパーに改変したのは"伝える"、"繋ぐ"というテーマを表すのに良かったと思います。ただ現代に合わるためだけに変えたのではありません。

 ラッパーたちは自分の境遇を(描写としては)フリースタイルでラップしているだけですが、そのリリックがアングラから見た街の変化など物語に絡んでおり、序盤にかけての語り部的な存在になっていました。

 彼らは路上で輪を作り、インスト音楽に乗ってラップをする"サイファー"を普段からやっているようですが、これもまた示唆に富んだ要素だなと思います。サイファーは一人が限られた小節の中で言いたいことをビートに乗せて蹴ります。そして次の人がその話題に乗ってさらに言葉を紡いでいくことで、話題がさらに広がるというある種の会話になっているのですが、このマイクリレーのあり方が言葉で気持ちを伝えることの重要性を序盤から表しているように思いました。ちなみに個人的なラップシーンのハイライトはククンがミーコただ一人に向けて想いを伝える場面です。育ちが違う二人が共感し、心を通わせるところが美しかったです。

 美樹はワム達のラップに影響されたわけではないですが、9話において外で魔女狩りが始まる中SNSを通じて言葉を発信します。そのメッセージが波及していく様はサイファーのようでもありました。言いたいことを言い切り、届けたい人に言葉を届ける―――こうして自分自身をrepresent(=表現)することで悪意だけじゃなく、良心に繋げることができました。

 繋げる人がいればそのバトンを受け取る人もいます。その一番象徴的な人物は不動明です。美樹いわく「明君が泣くときはいつも誰かのため」というぐらい明は他者に対して強く共感を抱く人物です。あまりにも優しすぎるがゆえに、人の奥底に眠る悲しみを見抜いてしまうのはもはや才能と呼べるほどで、だからこそデビルマンになれたのかなと思います。デビルマンとなった人物は容姿も性格も激変してしまいますが、明は容姿・性格が変貌しても根っこの部分は全く変わりませんでした。それがこの泣き虫なところです。

 さらに他者を慈しむ心にも変わりはありません。9話にて、幼少期に明がいじめっ子から守ってくれたことを美樹が語りますが、それはデビルマンになってからも同じで、明は人々が疑心暗鬼になって人間同士が虐殺し合う地獄絵図の中でも、殺されそうになっている罪なき人々を涙ながらにかばいます。どんなに姿形や性格が変わっても明の本質は全くぶれていません。その姿を見て悪意に満ちた人々が改心していく場面は、美樹から受け取ったバトンをさらに多くの人に渡せた瞬間でした。

 希望が見えると絶望の影がより濃くなります。そのコントラストが緻密に描かれた本作ですが、悪意が伝播する描写も緻密です。明は自分以外にもデビルマンを二人見つけ協力を仰ぎます。幼なじみのミーコは明に付いてくれますが、リレー選手である幸田はデーモン側に付きます。人間の心を持つはずなのに、デーモンに付く―――むしろ人間の心を持つからこそ強い者に付くという皮肉な展開になっています。

 了の悪意を煽るスピーチによって、明や美樹のそばにいた者からも離反者が出ます。ラッパーの一人であるヒエはミーコが仲間のククンを殺したと思い(本当に殺したのか明確な描写はない)、魔女狩りをする人間側に付き、仲間であるワム達やミーコ、そして美樹の殺害に加担してしまいます。「みんながやさしい心を持てば世界は一瞬で変わる」という美樹の発したメッセージがこの瞬間だけはあまりにもむなしかったです。了が発したスピーチの伝播、その悪意の広がる早さにリアリティを感じました。

 戦いを終えて牧村低に戻った明がその惨劇を見て「地獄へ落ちろ!人間どもめ!」と吠えますが、原作の漫画からセリフが削られているシーンになっています。原作ではこのセリフの前に、

「きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!」

「これが!これが!おれが身をすててまもろうとした人間の正体か!」 

 というセリフが来ます。ここでセリフが削られたのは、明は前の場面で人間の中の善性に触れていたので、人間を見限るまでには至っていなかったのではないかと思います。そしてその場にいる狂気に犯された者を指して「悪魔だ…お前たちこそ…地獄に落ちろ!人間どもめ!」と発したのではないかなと。

 この惨劇を作った張本人である了(=サタン)に対して「お前のために泣いてやりてえが、もう涙も枯れ果てた」と口にしますが、それは決別の証を思わせると同時に自分の哀しみのためには泣かない明の芯を感じさせました。

 最後は美樹の意志を守る戦いになります。明は虚しさを抱えるだけではなく、美樹が残してくれたメッセージに呼応して駆けつけたデビルマンたちと共に立ち上がります。そう、本作のデビルマン軍団は美樹が作ったと言っても過言ではないのです。

 最終決戦はまさに地球全体を舞台にした殴り合いに発展します。その中で、明は身体を欠損していきますが、仲間のデビルマンがバトンを繋ぐように、自らの手足を明へと合体させます。ここでのケレン味の利いた映像もさすがで、しかも悪魔同士の合体要素もリレーというモチーフに落とし込んでいてすごいなと。この一連のシーンは、美樹の意志を繋げて何としてもそれを了に伝えようとしているようにも映り、印象深いものとなりました。

 決戦後、すでに息を引き取った明のそばで、了がはじめて涙をこぼします。その涙は他者を喪失したことによって"愛"を感じたからではないかと思います。繋いだバトンがやっと届いた瞬間だったのかなと。

  "繋ぐこと"をテーマにまとめてみましたがどうだったでしょうか。自分はこの作品が湯浅監督の願いや祈りのように思えてなりません。監督自身が様々な作品から受け取ったものを、監督なりにわれわれへ繋ぐためにこの形になったのだと思います。

 9話で美樹が部屋にあるTVアニメ版『デビルマン』のDVDらしきものを荷物に入れるシーンがあります。TVアニメ版というと、原作や本作と主人公のあり方が逆で、悪魔が人間に乗り移ったけれど人間を愛してしまったという物語になっています。「(優しい心を持つ人なら)それが悪魔でも人間でも受け入れます。無条件で愛します。」とは本作の美樹の言葉ですが、違いを受け入れ慈しむこと、そのTVアニメのデビルマンのエッセンスを湯浅監督なりに落とし込んで描いているのではないかと思います。光が広がれば影が濃くなるように、きれいごとのお題目を立てればバイオレンスな部分がより強調されます。しかしその逆もまたしかりで、ときにはバイオレンスな中にも消えない希望が見つかることもあります。そういったコントラストを色濃く、絶妙に描いた作品でした。

 Netflixでの全世界配信ということで本作がこれからどのようなパンデミックを起こすのか楽しみです。