マミヤの忘備録

ラップ、映像、その他諸々について記したいなぁと思ってます。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第9話「星祭りの夜に」

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あらすじ

 第100回聖翔祭に向けて制作が続く。脚本が上がり、キャストはそれぞれの衣装のアレンジを提案したりと、舞台をよりよくしようとそれぞれの想いが募っていく。そんな中、今までの再演どおりに行かないことにななは憤りを隠せない。ななの異変に気づく舞台少女たちだが、原因がわからず何も出来ない。

 道具置き場に佇むななを心配してやってくる純那。ななが選んだ“運命の舞台”を知る。

 きらめいた時を繰り返そうとするななと、未来に向かうことでさらにきらめきを目指そうとする華恋。二人のレヴューが始まる―――。

 

 

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感想

 スタァライトはどの話数も物語が上手いなと思うのだけど、この話数は今までの積み重ねを上手く昇華してるのもあってトップクラスに脚本の巧みさが光っている回だった。

 物語の冒頭から、いつもの母性に溢れ飄々とした佇まいのななはそこになく、今回は今までに“見たことない”なながそこにいた。

 レヴューのタイトルは“絆”。そして相手は華恋。未来を目指す者と過去を想う者、今まで十分に対比されてきた二人だが、今回で改めて両者のスタァライトへの想いが描かれる。華恋は、英文の“スタァライト”の戯曲本をひかりに訳してもらいながら戯曲スタァライトという作品自体への愛を新たにし、ななは別れが最後に待つ悲劇に対して嫌悪感を表す。しかもどちらも自分自身の経験や性格を投影していて、その果てに華恋は惹かれ、ななは反発しているというのが面白い。

 “絆”というテーマでレヴューが行われるが、これも面白いテーマ設定で、絆という言葉には人と人の結び付きという意味もあるが、転じて人を束縛するものという意味を持つ。ネガにもポジにも捉えられる言葉のチョイスと、華恋とななに対してこの言葉を持ってくるのはすごいなと。

 今回の物語はレヴュー以上に、ななと純那が夜の校舎で話し合うエピローグが印象的だった。

 純那はななが再演してきた“運命の舞台”を咎めたり、否定するのではなく、受け止め、そしてその上でななのことを労う。そこからななに促され、過去の偉人たちの言葉を引用していくところは示唆的だ。偉人たちは過去になったからとて、ただ終わっていくのではなくその思想は今も燦然ときらめき続ける。その言葉は現代の少女の糧となり、今なお新たに言葉が紡がれている。“負けてしまったら終わり”―――華恋とのレヴュー中にそれぐらい思い詰めていた純那がななを救うポジションになることで、この話数が純那のアフターストーリーになっているのも巧みだなと。そしてなな自身も、繰り返しの再演の中で“違うもの”を模索していたことを指摘される。

 最後に純那はボロボロの舞台ノートを指して語りかける。

「あなたが大切にしてきた時間。守ろうとしてくれたもの。全部持っていってあげて。次の舞台に。」

 ななの想い、繰り返してきた時間。全てを許し、救う言葉になっていると思う。作劇的にも上手いのは、なながかなり大仕掛けなことをしてきたけど、悪者にならないように着地させているのがすばらしい。

 最後のやりとりはななのやってきたことに想いを馳せると涙腺が緩みまくるシーンだ。ななは時間を繰り返す度に孤独が増して、その度にきらめきに届かないことを知り、でもループを終わらせることができない。そしていつしか友に敗れ、運命の舞台も断たれ、繰り返した再演は誰にも知られることなく静かに終わる。それでも今までなながやってきたことを純那は肯定し、再び始めるための原動力とすることで物語が結ばれる。ななの果てしないほどの孤独、そしてそこから救われたことを想うと涙が流れる。

 余談だけども、純那が引用した偉人の中にニーチェがいたが、彼は“永劫回帰”という思想を説いた人物だ。永劫回帰をざっくり説明すると「人の生は繰り返し流転するもので、何度も同じ時間、同じ場所で同一の経験をする」という思想。それを肯定できるかというのが議論の骨子となる。もっと砕けた言い方をすると、「起こることは全て決まっていて、新たに生を受けたとしてもそれは変わらない。それでも自らの生を肯定できるか」と言い換えられる。まるで舞台のようだ。終わらない輪舞を演じたななに対して、純那がこの永劫回帰の思想を持ったニーチェを引用し、「過去・現在・未来」のことを絡めながら、先へ進むことを肯定する言葉を伝えたのが個人的にはとても印象的だった。