マミヤの忘備録

映画やアニメの感想など自分の趣味について記したいなぁと思ってます。

【映画感想】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』"隣人"を救うやさしきヒーロー

あけましておめでとうございます。mamiya(@mamiya_7)です。

久しぶりに映画感想を綴っていくよ。

今回は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(原題:Spider-Man: No Way Home)。他のレビューと同じくネタバレかましていくし、他シリーズ作品やアニメ映画『スパイダーマン:スパイダーバース』の話もしてるので、そちらを承知の上で読んでくださいまし。逆に物語の詳細をめちゃくちゃ知りたいよって方も、内容自体はかなりかいつまんで書いてるのでそちらもご承知くださいまし。

未見の方で本作が気になる方は、ぜひ映画を見てから本記事をご覧ください!

 

ーーーーーー

www.spiderman-movie.jp

今年一発目の映画にして、今年ベスト級の映画になることが約束されたシリーズ3作目『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。

蓋を開ければ自分の期待してた方向のさらに上を行く演出と展開で、レイトショーのあと感慨に浸りまくるほどだった。

そもそもの世界観がごった煮のMCUだからこその展開やアクションの妙がすごくて、この一大作品を作り上げたジョン・ワッツ監督をはじめ、全てのスタッフ・キャストに本当に感謝を捧げたい。

予告の時点で壮大なクロスオーバーがあるのを予感させたが、シリーズを見てきた各世代に向けた目配りには感服で、現在のシリーズや前シリーズにどれか一作でも思い入れがあるならば食らっちゃう作りになっていた。

シリーズ未見の人でも一大スペクタクルヒーロー映画として楽しめると思うし、それもやはり物語や演出、テーマという根っこの部分がしっかりと構築されていたからだろう。

 

今回のテーマは"呪縛からの解放・救済"になっていたように思う。それも多義的な意味を含む。

前作『ファー・フロム・ホーム』でのミステリオの最期の策略により、生活が一変する主人公ピーター・パーカー(とその周囲の人々)。事態をどうにかするため、魔術師ドクター・ストレンジの力を頼ることから今回の物語は動き出す。

魔術失敗の余波でマルチバース(多元世界)からヴィランたちがやってくる。彼らを単に元の世界に送り返すのではなく、それぞれがヴィランとなる元の要因を断つためにスパイダーマンが奔走する展開となっていったのは熱かった。

アニメ映画『スパイダーバース』では、一つの世界に他の世界のスパイダーマンたちが引き寄せられ、ヴィランを打倒するだけではなく被害者でもあるマルチバーススパイダーマンを各世界に送り届ける物語が描かれた*1。『ノー・ウェイ・ホーム』ではさらにそれを押し進めて、被害者としてのヴィランを描くという展開になっている。

本来であれば各々の世界で"スパイダーマンに倒される運命"を背負うヴィランたち。彼らの運命を変えるために戦うスパイダーマンのスタンスは"親愛なる隣人"の二つ名にふさわしい。

そして多元世界のヴィランが引き寄せられただけではなく、二人のピーター・パーカー(便宜的にトビーピーター、アンドリューピーターとする)*2MCUのバースに来ていたことが後半で明らかになる。

3人のピーターの邂逅で3人にしかわからない痛みを明かし、分かち合う。メイおばさんを、ベンおじさんを、グウェンを失ったときのことを思い返すピーターたち。大切なものを失った彼らたちを奮い立たせる言葉が共通して存在することに気づく。

"大いなる力には、大いなる責任が伴う"

トビーピーターとアンドリューピーターは形はそれぞれではあるが、ベンからの言葉として受け取っているが、MCUのピーターはメイからの最期の助言として受け取っている。

MCUのベンがどのようにして亡くなったかはわからないが、高潔な精神を持った人物でその精神がメイに、そこからピーターに引き継がれていることがわかるシーンでもあった。

3人のピーターのシーンはわりと多くてこの点もファン的には感涙ものなのだけど、「兄弟が欲しかった」とアンドリューピーターが喜ぶように、"スパイダーマンは孤独なヒーローである"ことを要所で印象付けて、明るいテンションとは好対照の部分を見せるのも良い演出。

本作での"ヴィランを救って元の世界に送り届けるための戦い"は、孤独なトビーピーターとアンドリューピーターを救う物語にもなっている。個人的に印象深いシーンで言えば、一つは先のシーンで正気に戻っていたドクターオクトパスとトビーピーターの会話。もう一つはMJが自由の女神から転落するシーンでピーターに代わってアンドリューピーターが手を伸ばし救う場面だ。ヴィランたちやMJ、ピーターを二人のピーターが救うシーンは本来ならば起こらなかった展開を本作でやり切ろうとしているようにも映る。

かつての恩師や友人との再会・最愛の人の救出はそれぞれのピーターの影を照らして、実質的に打ち切りになった前2作シリーズの後日談になっており、両シリーズをやさしく肯定する演出に昇華されていた。さらに決着の間際で、憎しみに落ちそうになるピーターを二人のピーターが救う展開があるが、MCUのピーターもまた"スパイダーマン"にとっては救うべき隣人なのだということを示していて最高だった。

最終的には世界を救うためストレンジの魔術によって"ピーター・パーカー"の存在を全世界の人々の記憶から忘却させるという形をピーターは選んだが、ポジティブなムードと共にトム・ホランドスパイダーマンの独り立ちが描かれているように感じられた。

ここからどう展開するかは予想はできないけれど、トム・ホランドが続投した上で神出鬼没の謎のヒーローがスクリーンに再び現れるのを待ちたい。

 

記事の締めにスパイダーマンのヒーローとしてのアイデンティティについて触れていきたい。

今回のヴィランは強迫観念や何かしらの信念を背負っているものが多い。その描写として、グリーンゴブリンやドクターオクトパスは"声が聞こえる"という表現を取っている。

これはある種、スパイダーマンたちも同様で「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というメッセージは勇気を奮い立たせる言葉にもなるが、その道徳心がピーター自身を苛む呪いになっている部分があると思われる*3。アンドリューピーターの話す、人々を助けていたはずが悪者を殴り続けていた、という主旨のセリフにもそれは見てとれる。

それでも暴力に身を委ねず、ヴィランとはならないのはなぜか。それは残されたメッセージと別に、NYという街とそこに住まう人々が"親愛なる隣人"として彼を受け入れてくれるからに他ならない。そしてその隣人がさらに隣人を救う―――そう、そこに世界の垣根は関係ない。誰かのために戦うからこそヒーローなのだ。

なぜ"スパイダーマン"が"スパイダーマン"足り得るのか、そのアイデンティティを再認識できる素晴らしい映画だった。

*1:マルチバースのスパイディたちを送り届けてから、その世界の新たなスパイダーマンが真に誕生する描写がすごくいいのだけどそれは頁を改めて…

*2:俳優名付けないとさすがにわかりづらいかなと

*3:こういう要素、DCコミックのバットマンにも通ずるように思うけど、主旨と外れるのでまたの機会に