こんにちは。マミヤ(@mamiya_7)です。
先月、新宿武蔵野館で観た『顔のないヒトラーたち』についてレビューしていきたいと思います。
本作は、1963年から1965年に行われたフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判開廷までの道のりを、史実に基づいて映画化したものです(人物・展開など創作の部分もありますが)。この裁判がナチスの戦争犯罪を浮き彫りにし、ドイツの歴史認識を改めさせたと言われています。
今では「アウシュヴィッツ」という地名を聞くと、「収容所」を連想する人が多いのではないかと思われます。また、戦争の記憶を風化させまいと海外からもダーク・ツーリズムとして訪れる人も多く、単なる地名にとどまらない意味をこの言葉は内包しているように思います。本作を観てまず驚かされるのは、アウシュヴィッツという地で何が行われたのかが当時はほとんど認識されていなかったということです。序盤、ジャーナリストのグルニカ(アンドレ・ジマンスキー)が検察庁の若い職員たちに「アウシュヴィッツを知ってるか」と問うシーンが出てくるのですが、知らないと返答する人や意味がわからないという表情をする人ばかりです。当時の歴史認識が垣間見える瞬間でした。この時期がドイツにとって転換点だったことがわかります。
ドイツの歴史認識を変えたと言われるほどのフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判を題材にしておりますが、ただの記録としての映画ではありません。あえて主人公のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)など実在しない人物を配置し、作品のテーマをより浮き彫りにさせていきます。
また強制収容所の元士官を追う過程や、逮捕の場面などがポリティカル・サスペンスのようで、演出もなかなか凝っています。
レビューに移る前に、本作に対するスタンスを書いておこうと思います。西洋近代史や政治史にうといこともあり、今回はヨハンの視点から物語を辿りつつ、解釈を綴っていこうと思います。わたしのような門外漢が歴史認識などを絡めて語るのはおこがましいですし、ハードルが高いなと思うので、この映画は何を描いたのかを映画好きな人間の視点で考えたいと思います。
前置きが少々長くなりましたが、本題に移ります。ネタバレもございますのでご注意を(史実に基づいているのでネタバレというのも不思議な言い方ですが…)。
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