マミヤの忘備録

ラップ、映像、その他諸々について記したいなぁと思ってます。

【感想】ガールズバンドクライ 第3話「ズッコケ問答」

仁菜とすばるの掛け合い、二人を手のひらで踊らす桃香が面白い第3話。

どつき漫才のような会話劇、それでも噛み合っていくのがバンドなんだな。

ということで以下、感想。

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案の定、音楽にのめり込み勉強が手につかない状態になっている仁菜。スマホDTMできる手頃さからずるずる沼にハマっていくとこがコミカルだけど、なんだかリアリティがあってさらなるドロップアウト(=大学進学じゃない戦い方)の布石のようにも見える。

今回、桃香に図星を突かれて仁菜が帰ろうとする展開が二度あった。音楽にのめり込んでることを指摘されたときと路上ライブの話を持ちかけたときーーいずれも桃香のもとに戻ってくる。どうせ戻ってくるのがわかっている(=仁菜の本心を掴んでいる)桃香の一枚上手な態度が印象的だけど、ここから仁菜が手のつけられない対等な存在になって、そこがどう変わるか楽しみ。

すばるの境遇も明かされた。祖母の言いつけでアクターズスクールに通っているだけで、本当は演技をやりたいわけではないことが語られた。親類の期待や押し付けをプレッシャーに感じている部分が実は仁菜と似ていることがわかる。

境遇が似た二人だが、同時に違いも浮き彫りになる。かたや環境に逆ギレして飛び出し、かたやなんだかんだ環境に合わせて生きることができるーーそして両者ともそんな自分の性質にうんざりしているように見える。

距離を取ろうとする仁菜に対する、すばるからの「やめた方がいい? バンド、やめた方がいい?わたし」という問いかけは両者の性質の違いがよくわかるし、すばるの境遇を紐解くシーンの始まりとして引き込まれるものがあった。

人に合わせるのは得意かもしれないけど、仁菜が知った風な口を聞くと即座にキレたり、仁菜に劣らない反発心もある。この一連のシーン、1話で桃香に「楽勝じゃん」と言われたときの仁菜とも重なる。他人の境遇なんて、ときに「楽勝」に見えたり「上から目線」に見えたりするけど、そういったところこそ当人にとっては繊細な部分なんだろうと思う。仁菜がすばるの言葉にちゃんと耳を傾けてから、一気にすばるのペースに持ってかれる流れは溌剌として好きだった。学生的なノリが素朴に馴染んでいて、仁菜が失ってしまったものを新しい形で手に入れた瞬間のように映った。

路上ライブに向けての打ち合わせ。急なライブに拒否反応を示す仁菜に対して、その本心を看破した桃香の「成功しようが、失敗しようが、お前はどっちにしろ後悔するんだ」ってセリフがやけにこっちにも刺さる。日常的なことに照らし合わせても何だか身に覚えがあるところがあるし、案外この感覚はわかる人も多いんじゃないかって思う。

路上ライブに向けての3人での初めての合わせ練習、ここでのセッションの多幸感が半端なくて、暗い展開が多かったガルクラで一気に"楽しさ"を解放した瞬間だったように思う(逆に1、2話が暗い流れでも、ここまでしっかり引き込んだ演出がすごいとも言える)。

仁菜の声出しに合わせて、ギターとドラムが一気に乗っかってくる。たった数秒のアンサンブルに観てるこっちも鳥肌が立った。「人間にはさ、音に合わせて体を動かす遺伝子が入ってるんだよ」ってすばるのセリフがわけもなく多幸感に包まれる気分を肯定してくれる。

帰り道の吉野家、声を張り上げすぎた仁菜のハスキーボイスをいじるすばるに立てられる小指。それを見たすばるのキョトンとした顔から、まだ共有されてないハンドサインなことがわかる。ルパと智がこれから絡んでくる伏線を張りつつ、後のトゲナシトゲアリのメンバーの集結がかなり丁寧に描かれるんだな、という印象を持った。

ラゾーナ川崎でのライブ本番、出番になっても人前に出れない仁菜に対してマイクを通して語りかける桃香。さすがのバンド経験者で、元々MCが上手いタイプのアーティストだったんだろうなと思った。

仁菜を煽りそのアンビバレンツな性格をあげつらって、それを踏まえた上で「それはまぎれもないロックだ」と仁菜を鼓舞する。 仁菜自身がネガに感じてる部分をあえて刺激して、それをステージに上げる起爆剤にしていく流れは桃香のMC巧者っぷりが存分に出てて好きなシーンだった。

そこから棘を纏った仁菜がステージに走るシーンが個人的にはハイライト。仁菜の棘のオーラが往年のアニメの集中線みたくなってるのも、演出の妙だった。

急造のバンド"新川崎(仮)"が放つ曲は『声なき魚』。歌詞を見ると、ニヒリスティックだけども実存を渇望している、今の仁菜を象徴する内容だ。それに呼応するようにオーディエンスやラゾーナを闊歩する人たちが、仁菜の姿になる演出が為される。もちろんイメージ的な絵面ではあるが、仁菜にとっては今わからせたい相手は過去の自分で、救いたい相手もまた過去の自分、という意識なのかもしれない。内容的には明るい楽曲ではないが、歌い切った仁菜の表情の明るさが良い。歌詞云々と書いたけど、まずやってることが音楽だから、身体を揺さぶられて気持ちよく音を奏でられたら勝ち!みたいな音楽のプリミティブなとこを押し出してるのが良かった。「なんかすごいロックだ」って締められちゃったら納得するしかない。

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ダイヤモンドダスト、現メンバーの街頭広告が出たぐらいでまだ絡みはなく…。というか思った以上に劇中では売れてるバンドみたいで、ただ街に広告だけが映るって演出もそのプロップスを後押ししてた。

智とルパの本格的な絡みはそろそろなのか…期待して次回。

【感想】ガールズバンドクライ 第2話「夜行性の生き物3匹」

やはりアニメが始まるとよりボルテージは上がるもので、トゲナシトゲアリの曲のローテ率が上がった。

各シングルの画面までポチポチ移動するの面倒でプレイリストも作ったり(Spotify以外でも公式プレイリスト欲しいよね)。

そればかり聴いてるわけでもないけど、無理に追うでもなく、自然と見たり聴いたりしちゃう。コンテンツとの距離感は、今はそれぐらいがちょうどいい。

ということで第2話の感想。

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【感想】ガールズバンドクライ 第1話「東京ワッショイ」

約一年前、『ガールズバンドクライ』のメインスタッフが発表されて驚いたのを覚えてる。

ラブライブ!サンシャイン!!』の酒井和男が監督で、花田十輝が脚本、平山理志がプロデューサー。

自分の中で色めきだつものがあったけど、あくまでサンシャインとは別物だし、劇中バンドのトゲナシトゲアリの活動も積極的には追ってなかった。

でも不思議なもので「次のクールか…あと数週間か…もう数日か…」と日増しに期待値が上がっていくのを感じた。

迎えた第1話、やっぱ酒井監督のフィルム面白い。

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【映画感想】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』"隣人"を救うやさしきヒーロー

あけましておめでとうございます。mamiya(@mamiya_7)です。

久しぶりに映画感想を綴っていくよ。

今回は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(原題:Spider-Man: No Way Home)。他のレビューと同じくネタバレかましていくし、他シリーズ作品やアニメ映画『スパイダーマン:スパイダーバース』の話もしてるので、そちらを承知の上で読んでくださいまし。逆に物語の詳細をめちゃくちゃ知りたいよって方も、内容自体はかなりかいつまんで書いてるのでそちらもご承知くださいまし。

未見の方で本作が気になる方は、ぜひ映画を見てから本記事をご覧ください!

 

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www.spiderman-movie.jp

今年一発目の映画にして、今年ベスト級の映画になることが約束されたシリーズ3作目『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。

蓋を開ければ自分の期待してた方向のさらに上を行く演出と展開で、レイトショーのあと感慨に浸りまくるほどだった。

そもそもの世界観がごった煮のMCUだからこその展開やアクションの妙がすごくて、この一大作品を作り上げたジョン・ワッツ監督をはじめ、全てのスタッフ・キャストに本当に感謝を捧げたい。

予告の時点で壮大なクロスオーバーがあるのを予感させたが、シリーズを見てきた各世代に向けた目配りには感服で、現在のシリーズや前シリーズにどれか一作でも思い入れがあるならば食らっちゃう作りになっていた。

シリーズ未見の人でも一大スペクタクルヒーロー映画として楽しめると思うし、それもやはり物語や演出、テーマという根っこの部分がしっかりと構築されていたからだろう。

 

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『TIMELINE STREET』in Another Dimension(2021/7/28)の感想

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どうもmamiyaです。今日は渋谷のAnother Dimensionで開かれた、YABO$HIKI-1氏主催の『TIMELINE STREET』の感想を書いていくよ。

ゲストDJで呼んでもらったり、みんなでわいわいしたりして大変楽しゅうございました。それではいってみましょ。

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【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話「レヴュースタァライト」

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あらすじ

 ひかりの運命の舞台。それは戯曲“スタァライト”を一人で演じることだった。共演者もなく、裏方もなく、キリン一人を観客とし、ひかりは石を積み上げ、それが星によって砕かれるシーンを繰り返す。

 やって来た華恋は、誰のキラめきも奪わないために一人、孤独に芝居を続けるひかりを見て涙を流す。たまらず言葉をかける。

「帰ろうひかりちゃん。私たちの“スタァライト”はまだ始まってない!」

 「どうして会いに来るのよ、会いたく、なっちゃうじゃない」

 芝居が止まり、舞台装置は動き出す。

 “スタァライト”を始めるために、最後のレヴューが開演する―――。

 

 

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感想

 外界の様子も要所に入れつつも、基本的には華恋とひかりの“スタァライト”が描かれた。

 賽の河原のように小さな星を積み、そのたびに大きな星に砕かれるというシチュエーションは、共演者もなく、裏方もなく、観客もなく、独りで舞台を演ずる主演―――死せる舞台少女としてあまりにもはまりすぎていた。

 本作は“繰り返し”というモチーフを要所に入れ込んでおり、最終話も例に漏れない。賽の河原のように星を積み上げる場面もそうだし、それに付随するフローラとクレールの台詞もそうだ。この“繰り返し”はゼロになってしまうことだけを描いているわけではない。同じ動きをしながら、しかし高みへと行く螺旋階段のように“積み重ね”も同時に描かれている。それは華恋とひかりのシーンだけではなく、今回の鍋パーティのシーンでも表現される。まひるがひかりの好みを熟知していたり、クロディーヌのフランス語を純那が聞き取れたりとそれぞれの素朴な成長を通して、日常という変わらないルーティンの中で変化し前に進んでいることがわかる。

 そしてレヴューシーンでも当然、“繰り返し”と“積み重ね”が描かれ、レヴュータイトルも“星罪のレヴュー”から再生産され“星摘みのレヴュー”となる。ここから戯曲は様変わりする。願いを叶えるために星を摘み、その罪によって想い人と離れることになった悲劇から、想い人と離れたとしても幽閉された塔へと立ち向かう物語になる。同様に華恋とひかりのレヴューも変化し、さらに2人だけでなく、オーディションの意味合いすらも再生産が成される。舞台少女たちがライバルの“キラめき”を自らの願いのために奪い合う罪人たちの物語から、互いに高め合い“キラめき”を灯し合う物語に昇華している。

 舞台少女の罪を一身に背負うひかりの覚悟、その象徴とも言える片割れの塔。そこに向かうため自らをさらに再生産した華恋のキラめきに呼応して東京タワーが現れるシーンは圧巻だ。“約束タワーブリッジ”―――二人の思い出の場所を、罪を背負い塔に幽閉されたひかりのもとに上るための舞台装置とすることで、観ているこちらも共鳴し感情が高ぶった。そしてまだ観ぬ物語―――再生産された“スタァライト”が披露される。

 ひかりのもとまで来た華恋は、ひかりが自分にとっての“舞台”であることを告白する。“舞台”とは他者との連帯があって初めて生じるものだ、それが一人芝居であったしても。役者の演技はもちろん、裏方の働き、観客の視線、様々なものが連関して初めてステージを織り成すことができる。

 演者が舞台に立つのは自らの夢のためだ。しかしそれは裏返せば誰かのためでもある―――その誰かが舞台少女たちにとっては運命の相手とも言えるだろう。それを今回の“再演”で舞台少女それぞれが自覚した。自分をキラめかす相手、自分がキラめかせる相手、それを自覚することで繰り返す日々の中で刺激し合い進化していった。

 “舞台”とは人と人とが織り成す関係性の中で紡がれるもの―――それをひかりとの再会、そして消失を経た華恋が自覚して、“スタァライト”を新たに生まれ変わらせる。舞台少女たちの関係を強く描き出し、彼女らの関係の中で編まれてきた物語だからこそ出せた結末だった。

 最後に少しだけ、観客としての言葉を添えたい。先にも書いたが舞台にはキャストやスタッフだけではなく観客も必要だ。それはキリンが劇中でも端的に述べていた。辛い物語であっても観るものが“求める”からこそ彼女らは演じる―――観るこちら側にもその責任を、つまり罪を背負わせるということだ。罪を自覚しながらもその先が観たい、良い結末を迎えて欲しい、とわたしは“望んだ”。そして観たい結末を観せてくれた、そのことに感謝したい。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第11話「わたしたちは」

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あらすじ

 トップスタァとなったひかりは誰のきらめきも奪わず運命のレヴューを開幕―――。

 次の日にはひかりは退学し、姿がどこにも見当たらなくなる。華恋は色々な手段を取るが、ひかりは見つからない。

 時間は経ち第100回聖翔祭が近づくが華恋は舞台への気持ちが冷めていることを自覚し、身をもってひかりの辛さを痛感する。

 華恋はひかりが残した英文のスタァライトの戯曲本を訳していくが、そこで舞台とは違う展開があることに気づく。学校へと行き、かつてエレベーターがあった場所で想いの丈をぶつける華恋、すると地下の会場への道が開かれる。7人の舞台少女の想いを受け取りながら、華恋はひかりの下を目指す―――。

 

 

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感想

 ひかりとの別離を経て、華恋やひかりを取り巻いていた環境の変化が描かれた。印象的なのは、きらめきを失っていく華恋もそうだが、環境がひかりなしでも動き変わっていくことのリアリティだ。

 ひかりがいなくなることは華恋にとってはあまりにも突然で悲しい出来事だが、対外的には退学手続きをすませキレイに学園から去った人の一人という扱いで、華恋の激情と反比例するかのように、環境や社会といったものは冷たく起こったことを華恋に突きつける。

 華恋はさまざまな手法でひかりを探すが、その度に現実を突きつけられるという展開は巧みだった。先生に問い合わせても、警察に駆け込んでも、ひかりの古巣に手紙を送っても、手がかりは見つからずその度にひかりの不在を認識する。そしてそこから華恋のきらめきが失われるというロジックも面白い。華恋の再生産の原動力はひかりとの約束だ。ひかりにとっては誤算だったのかもしれないが、結果的にきらめきを奪うことになるのはなんと皮肉か。しかしそのおかげでひかりの置かれた状況を自覚するという流れは物語がしっかり連関しており、悲しい話ではあるものの展開を見ていて気持ちが良い。

 華恋はスタァライトの英文を訳し始め、舞台との違いに気づく。それは星を掴んだクレールが罰として塔に幽閉されているというもの。それをヒントにひかりはオーディション会場にいると予感し、華恋はバールのようなものでエレベーターがあった壁を叩くが、ここが一番現実を感じる瞬間だった。叩く度に壁が削れ、その奥にはただ分厚い壁がさらに続くことを思わせる描写、あまりにも非情だがリアリティを一番感じた。

 華恋の想いが通じ、学園内に電気が灯もり、エレベーターが出現。この“光”が点いていく場面もひかりを思わせ、クライマックスのテンションを高揚させる。そこから7人の舞台少女の言葉を受けながら、幕間として流れるのは『舞台少女心得』だ。「わたしたちは舞台少女」という歌詞がある。彼女たちはみな現実に生きているが、舞台の上に立てば自らを脱ぎ捨て再生産し、舞台という虚構の中に身を投じる―――ひかりを救うには現実の中で対処するのではなく、もう一度舞台の上で連れ戻さなければならないことを示唆しているような歌詞だと思う。

 また、「舞台少女は何度でも生まれ変わることができる」とは真矢の言葉だが、虚構であったとしても舞台の度に新たな真実を演者や観客が宿していく、その気持ちこそがまさにオーディションに必要なきらめきなのだと思う。だからこそ華恋は情熱に導かれ、幽閉されたクレールという真実をあばき出し、ひかりの下へと続く道を見つけられた。

 舞台という虚構、しかしそこで注がれる気持ちこそ真実を宿し、観るものを魅了する。最後のレヴューの結末をしっかりと見届けたい。