マミヤの忘備録

映画やアニメの感想など自分の趣味について記したいなぁと思ってます。

【ライブ感想】『挫・人間の花びら3回転〜人間やめますか?それとも挫・人間やめますか?〜*男子限定』in 新宿レッドクロス

 映画やらアニメやらの感想を唐突に上げる当ブログ。今回は初めてバンドのライブ感想を上げたいと思う。取り上げるのは表題通り、「挫・人間」だ。

 ライブ感想を唐突に上げるのも、たまたま見かけたツイートに触発されたからかもしれない。詳しい文章は覚えてないが、「盤にならないライブやイベントはレポートなどを書くことでしか記録に残らない。後世に伝わらない。だからすごいと思ったものは積極的に言葉で残すほうがいい。」

 おおむねこのような内容で、素直にそうだな、と思った。べつに今回のアクトが映像化されないと言いたいのではない(動画配信や円盤特典等になることも大いにあるだろう)。重要なのは、上記のような文言がきっかけになり、そして今回のライブを見て自分なりに言葉にして感想を残したいと思わされたということだ。

 動機としてサポートドラマーの菅大智氏が今回の3公演をもって挫・人間から抜けてしまうという感傷ももちろんある。しかしそれをもエンターテイメントに昇華した今回のライブ―――自分が"言葉"にするのは今だな、と思ったのだ。(サンシャイナー的に言えば、この楽しさを自分だけのものにしては「もったいない」という感慨だ)。

 当方、挫・人間へのライブ参戦回数は今回で3回目と、そんなに多いわけではない。聴き始めたのも「挫・人間チンポジウム2017~新曲キボンヌ~」の少し前でファン歴としても長くはない。

 一つ断っておくと、記憶力が特別いいわけではなくMC等での発言も詳細には覚えていないので、そのあたりを知りたい人は他の方の記事を探してみたほうが良いかも…。時系列順に印象的だったトピックを綴る記事なので、隅っコの一人のドキュメントとして楽しんでいただければと思う。

 前置きが長くなったが、女人禁制、男子限定、白昼夢の宴の感想へと移ろう。

 

 ハンパな体調不良によりギリギリまで自宅にいた私が会場の新宿レッドクロスに着いたのは開演2、3分前。まず驚いたのが、ドアを開けた瞬間に"ドラムセット"が眼前に見えたことだ。ロープで仕切られ客席後方を陣取るドラム。「なんでここに??」と思い、すぐに「もしかして…」という予感に変わった。が、開演直前だったので気をとりなおす。友人とのあいさつもほどほどにそのときを迎えた―――。

 入場してきたメンバーは赤パン一丁。闘魂と書かれた一張羅を衣装にしてしゃくれている。ライブ参戦回数は少ないながらも確信した、男子限定の名にふさわしい何かをぶつけるつもりだと。しょっぱなから爆笑した。

 "燃える闘魂"アントニオ猪木に扮して「Tee-Poφwy」になだれ込む。原曲はサンバの話題に始まり、妄想が展開され、脳内の女の子に捨てられ、サンバへと回帰するという内省的(?)なものだ。それが今回は猪木をテーマにし、「元気があれば何でもできる!」とGt.夏目創太氏が吠える。元気のGを感じる…。

 今回だけの特別なリリック。それに呼応しBa.アベマコト氏がダイブを敢行したり、客席という大地に降り立ち客と四つに組んだりした。

 原曲が内にある混沌としたものに対する押し問答ならば、今回のアクトは内省を終えた主人公が生身でぶつかっていく様子に見えた。それは突飛な絵面というだけでなく、原曲と地続きにある景色のように思えた。シリアスなこと言ったけど、実際見るとめっちゃ笑えるのがポイント。ちなみにVo.下川リヲ氏はプロレスに明るくないようで、序盤は様子を見守っていたのがかわいい。そうして諦めの境地に達してダーッ!となったメンバーと隅っコたちはのっけからあったまっていく―――。

 男性性を乱用する者たちとそれを取り締まる射精警察との攻防を描く「カルマポリスⅡ」、守れそうにない〆切への苦悩を叫ぶ「〆切を守れない ~無力~」、大学時代の自伝的かつ自虐的な呪詛である「人類」と、この世界の(さらにいくつもの)片隅にある地獄を立て続けに追体験した(ちなみにここらへんで、隅の方に居る人や遠くに居た人も夏目氏の号令で中心部の方へと移動―――ちなみに私もその一人だ)。そこから地獄のようなダメさをはねのけるようにダンスナンバー「卑屈人間 踊ってみた」が響く。そしてこの流れを「人生地獄絵図」で総括する。間奏のアメイジンググレイスが気持ちよくて、奏でられるギターの音色がダメな人生をそのまま祝福してくれる。地獄のようなこの人生を地獄のまんま肯定しようとする姿勢は挫・人間の魅力の一つだ。

 「もうだめだぁ!!!」という下川氏の嘆きから始まる「念力が欲しい!!!!! ~ 念力家族のテーマ」。人生という地獄を想像力で乗り切ろうとするこの歌が好きで「念力念力念力念力…」と早口で唱えるところは待ってました!とこちらも共に詠唱。しかも噛んでしまっててもはや「てんりき」と発音してた気もするが、これでいいのだ。

 挫・人間に限らないが、ライブだと印象が変わる曲がある。「webザコ」もその一つだろう。原曲だとパソコンのキーボードを叩く音から始まり、テンション高い演奏がやってくるが、ライブはキーボードの助走もなしにイントロが突っ込んでくるので、爆発力が凄まじかった。そして生で聴いてもサビがポップなのがおもしろおかしい。

 ここでMCかと思いきや突如として夏目氏がシューベルト「魔王」を歌い出し、客にもそのサビ(?)をレクチャーする。オーディエンスからの「何故だ!!!」の声は食い気味だったが、最高のタイトルコール。魔王を歌い終わるや、「何故だ!!!」が始まる。駆け抜けるようなワンコーラスだった。

 赤パン一丁の男たちはそのままの出で立ちで、一瞬のうちにアイドルへと変わる(何を言ってるわからんと思うが本当にそうだから仕方ない)。それぞれの自己紹介に移っていったが、このとき、先陣を切るまこまこりんが一番壊れていた。

 「まっこまっこりーん!」のコールアンドレスポンスに不満なまこまこりんは隅っコたちの息子をなじり始める。「ちっちゃいのう〜!(ナニがかはご想像にお任せします)」響くいい声だ。これから行われる曲の声出しにもちょうどいい。何故罵られてるかはわからないが…。

 そしてアベマコトが一番まともになる瞬間も訪れる。りおきゅんの自己紹介の合間に、正気に戻ったように「終わりだ、終わり…」と漏らすアベ氏。思わず昔話を交えて謝り出す下川氏。パンツ一丁で来るとこまで来たことを噛み締めていたのかもしれない。そう、目の前にあるのが"世界の果て"なんやもしれん。必死になだめるシーンに笑わせてもらいながらも、友人としての仲の良さを感じられる胸があったまる光景でもあった。

 そんなこんなで挫・人間驚異のアイドルダンスナンバー「☆君☆と☆メ☆タ☆モ☆る☆」。アイドルなのでメンバーは楽器を持たずダンスをするのだが、後方の菅氏のキレが良すぎるのがいやに目につく。ドラミングでも魅せるというのにここでも…。

 少女の完全変態を経て、次なる曲は「JKコンピューター」。現在の最新アルバム「OSジャンクション」で私が一番好きな曲だ。挫・人間のサウンドのいいとこどりな曲だなと個人的に思っていて、ロック、テクノ、ラップ、はたまた語りといろんなサウンドや手法で聴かせる目まぐるしさが良い。あとは世界観がSFチックなのもめちゃくちゃ好み。アルバムでは「カルマポリスⅡ」と連続することでSF感を増していた。しかし今回は「メタモる」から繋げることで、普通(の女の子)に戻ったはずが異形の者になってるというところが、アルバムとも違うストーリーラインを見出せるものになってて考えるのが楽しい。曲のオチで"普通"へと回帰していくところは原曲と同様だが、それで終わらせないのが挫・人間だ。

 本編ラストは「ダンス・スタンス・レボリューション」。夏目氏の号令でさらに前列に集められる隅っコたち。私も友人に手招きされ、さらに塊の中心に向かう。夏目氏による間奏部での"ウォールオブデス"について入念に説明がなされた。夏目氏は怪我をしない・させないことを再三呼びかけて、「不安そうな奴は、そのまま不安そうにしてろ!誰かが抱きしめに行く!」とライブ不慣れな奴を不慣れなままでも置き去りにしない姿勢を見せた。この人は本当にやさしい奴なんだなと思う。ステージでは荒くれ者だが、だからこそ暴れた数だけやさしさを知っている。

 そして実際に行われる男同士がぶつかり合う謝肉祭。勢いはありつつもやさしさに包まれていた。モッシュどころかダイブも起こったがそれすらも何だか微笑ましかった。

 無理だと自覚しながら、無理なことをし続ける勇気を讃える本曲。セトリの繋がりで言っても本編ラストにふさわしい。「JKコンピューター」で少女は成長するにつれて、悩みや痛みやあれやこれやをくだらないバグとして処理するが、「ダンス・スタンス・レボリューション」ではそのバグこそがスパイスになる。自分は思春期という歳でもないし、そもそも少女であったことすらない―――でも、勝手に心に巣食う臆病な自分を、ニヒルな自分を、少女な自分を革命してもらうためにラストにこの曲が持ってこられたように思える。オーラスのメロディが大好きで、声と身体で一体になるのが楽しかった。

 メンバーがはけていく中、挫・人間を呼ぶ声は止まない。アンコールに応え、もう一度勢いよく飛び出すメンバー。そして最後の最後は除霊だ―――。

 レッドクロスに入ったときに覚えた予感が現実になる時が来た。下川氏の段取りミスもありつつ(お茶目)、菅氏が客席後方のドラムへと導かれる。菅氏が颯爽と中央に行く姿は、アイドルが花道を通りセンターステージに向かうようだった。というか、この時のアイドルは菅大智で間違いなかった。メンバー三人と違い新日プロレスのシャツを着た菅氏が仕切りの縄をくぐり入場。そう、覚えた予感とはこれだ―――菅大智のドラムを真近で体感できる。ありがとう、と始まる前から感謝していた。

 入場した菅氏はレスラーのようなムーブをして一言―――「私は元々こういう人だ!」いじりにアンサーを返しただけなんだが、この姿があまりにも"挫・人間"だった。それは正規メンバーとかサポートとかってことではなく、概念としての"挫・人間"を体現してるように思えた。映画などの終盤で、主人公が表題やテーマを示すシーンがあるがあれに近い(「I am IRONMAN」とかかっこいいよね)。

 普段の除霊は各々の初恋をみんなで成仏させる、というイベントなのだが、今回は特別に菅氏をちゃんと送り出すことを念頭に据えられている。といっても、そのためには各々のパワーが必要なので結局初恋の人の名前を叫ばにゃならんのだが。

 わけわからんように見えるが、これも大事なプロセスだ。アンコール前のMCで下川氏は唯一知っているという猪木の言葉を口にした。「ピンチというのは大きなものに見えるかもしれないけど、実はそれは小さな出来事が集まってできてるからそう見えるだけ。一つ一つをどうにかすればピンチなんてどうということはない。」こういった主旨だった。この言葉に則するように、隅っコたちそれぞれの初恋という悲劇を天に送ることで、"挫・人間"というバンドの危機をも乗り越えてしまおうというのだ。

 そしてレッドクロスにいる人々の雄叫びをイントロに「下川最強伝説」。やっぱり光景がすさまじい。会場中の視線が、フロントマンでしかも曲のタイトルにもなっている下川氏ではなく、その真逆に位置する菅氏に注がれる。下川VS世間ならぬ、菅VSレッドクロス状態だ。ドラム周辺の仕切りはさながらしめ縄のようになり、神事のような雰囲気を帯び始めていた。

 自分は真近でドラミングを体感したが、すさまじかった。荒々しいのに崩れない。スティックが折れても即座に予備のものを手に取りテンポが狂わない。これが今まで挫・人間を支えたリズムなのだと涙腺が緩んでしまった。

 縄をくぐってやってきた夏目氏の煽りで共に拳を掲げたり、同じく縄の内側に来た下川氏の号令で共に羽ばたいたりとメンバーのアクトも祭を楽しむようで湿っぽさはなかった。あるとすれば、その成分はほとんど汗だった。

 アクトが終わり、男女混合ライブのために足早に去っていく挫・人間。不思議と喪失感よりも充足感を得ていた。それはシンプルで「このライブに来てよかった」という気持ちだ。

 

 男子公演だけの参戦だったので感想はここまで。この先、挫・人間がどうなるかはわからない。しかしバンドのピンチをここまでに昇華したのだから、この先もまだまだ楽しめるに違いない。

 挫・人間はジャンルを分類しがたいところがある。パンク、オルタナティブ、いろいろな側面を持つように思うが、正面からこれだ!と言えない。しかしその王道ではなく、我が道をひた走るところに惹かれるのだ(最近のトレンドで言えばアストレイとも言えるか、奇しくも会場名に"紅"がつくし)。ともかく、規定されない挫・人間だからこそ新しい体制でも楽しませてくれることを予感してしまう。

 記事を締めよう。まず、こんなライブはそうそうない。少数精鋭(by夏目氏)の一人としてこの場に居合わせたことは本当に奇跡だった。この日に挫・人間がライブして、しかも菅氏が脱退する日で、その場の少数精鋭の中に自分がいて、といろんなものが重なったからこそ観ることができたアクトだった。この日の少数精鋭の一人として、こんなすごいライブがあったということを伝えたくてキーボードを走らせた。少しでも伝わったなら幸いだ。

 最後に、挫・人間のみなさま、集まった隅っコたち、新宿レッドクロスのスタッフのみなさま、そしてDr.菅大智さん、めちゃくちゃ楽しいライブでした。本当にありがとうございました!

【映画感想】『クリード 炎の宿敵』"承認される"だけではなく"承認する"物語へ

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クリード 炎の宿敵 / Creed II

監督 スティーブン・ケイプル・Jr.

キャスト
マイケル・B・ジョーダン アドニスクリード
シルベスター・スタローン ロッキー・バルボア
テッサ・トンプソン ビアンカ・テイラー
フィリシア・ラシャド メアリー・アン・クリード
ドルフ・ラングレン イワン・ドラゴ
ロリアン・“ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ ヴィクター・ドラゴ

 

 

あらすじ

 ヘビー級王座を勝ち取ったアドニスは試合後にビアンカへのプロポーズを成功させる。夫婦となり互いの活動も順調な中、ビアンカの妊娠が発覚。

 守るべき者ができ、背中を追われる身となったアドニスにチャレンジャーが現れる―――それはかつて父・アポロを死に追いやったイワン・ドラゴの息子・ヴィクターだった。

 果たしてアドニスは王者の重責に耐え、家族への想いを守りきることができるのか。

 

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【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話「レヴュースタァライト」

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あらすじ

 ひかりの運命の舞台。それは戯曲“スタァライト”を一人で演じることだった。共演者もなく、裏方もなく、キリン一人を観客とし、ひかりは石を積み上げ、それが星によって砕かれるシーンを繰り返す。

 やって来た華恋は、誰のキラめきも奪わないために一人、孤独に芝居を続けるひかりを見て涙を流す。たまらず言葉をかける。

「帰ろうひかりちゃん。私たちの“スタァライト”はまだ始まってない!」

 「どうして会いに来るのよ、会いたく、なっちゃうじゃない」

 芝居が止まり、舞台装置は動き出す。

 “スタァライト”を始めるために、最後のレヴューが開演する―――。

 

 

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感想

 外界の様子も要所に入れつつも、基本的には華恋とひかりの“スタァライト”が描かれた。

 賽の河原のように小さな星を積み、そのたびに大きな星に砕かれるというシチュエーションは、共演者もなく、裏方もなく、観客もなく、独りで舞台を演ずる主演―――死せる舞台少女としてあまりにもはまりすぎていた。

 本作は“繰り返し”というモチーフを要所に入れ込んでおり、最終話も例に漏れない。賽の河原のように星を積み上げる場面もそうだし、それに付随するフローラとクレールの台詞もそうだ。この“繰り返し”はゼロになってしまうことだけを描いているわけではない。同じ動きをしながら、しかし高みへと行く螺旋階段のように“積み重ね”も同時に描かれている。それは華恋とひかりのシーンだけではなく、今回の鍋パーティのシーンでも表現される。まひるがひかりの好みを熟知していたり、クロディーヌのフランス語を純那が聞き取れたりとそれぞれの素朴な成長を通して、日常という変わらないルーティンの中で変化し前に進んでいることがわかる。

 そしてレヴューシーンでも当然、“繰り返し”と“積み重ね”が描かれ、レヴュータイトルも“星罪のレヴュー”から再生産され“星摘みのレヴュー”となる。ここから戯曲は様変わりする。願いを叶えるために星を摘み、その罪によって想い人と離れることになった悲劇から、想い人と離れたとしても幽閉された塔へと立ち向かう物語になる。同様に華恋とひかりのレヴューも変化し、さらに2人だけでなく、オーディションの意味合いすらも再生産が成される。舞台少女たちがライバルの“キラめき”を自らの願いのために奪い合う罪人たちの物語から、互いに高め合い“キラめき”を灯し合う物語に昇華している。

 舞台少女の罪を一身に背負うひかりの覚悟、その象徴とも言える片割れの塔。そこに向かうため自らをさらに再生産した華恋のキラめきに呼応して東京タワーが現れるシーンは圧巻だ。“約束タワーブリッジ”―――二人の思い出の場所を、罪を背負い塔に幽閉されたひかりのもとに上るための舞台装置とすることで、観ているこちらも共鳴し感情が高ぶった。そしてまだ観ぬ物語―――再生産された“スタァライト”が披露される。

 ひかりのもとまで来た華恋は、ひかりが自分にとっての“舞台”であることを告白する。“舞台”とは他者との連帯があって初めて生じるものだ、それが一人芝居であったしても。役者の演技はもちろん、裏方の働き、観客の視線、様々なものが連関して初めてステージを織り成すことができる。

 演者が舞台に立つのは自らの夢のためだ。しかしそれは裏返せば誰かのためでもある―――その誰かが舞台少女たちにとっては運命の相手とも言えるだろう。それを今回の“再演”で舞台少女それぞれが自覚した。自分をキラめかす相手、自分がキラめかせる相手、それを自覚することで繰り返す日々の中で刺激し合い進化していった。

 “舞台”とは人と人とが織り成す関係性の中で紡がれるもの―――それをひかりとの再会、そして消失を経た華恋が自覚して、“スタァライト”を新たに生まれ変わらせる。舞台少女たちの関係を強く描き出し、彼女らの関係の中で編まれてきた物語だからこそ出せた結末だった。

 最後に少しだけ、観客としての言葉を添えたい。先にも書いたが舞台にはキャストやスタッフだけではなく観客も必要だ。それはキリンが劇中でも端的に述べていた。辛い物語であっても観るものが“求める”からこそ彼女らは演じる―――観るこちら側にもその責任を、つまり罪を背負わせるということだ。罪を自覚しながらもその先が観たい、良い結末を迎えて欲しい、とわたしは“望んだ”。そして観たい結末を観せてくれた、そのことに感謝したい。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第11話「わたしたちは」

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あらすじ

 トップスタァとなったひかりは誰のきらめきも奪わず運命のレヴューを開幕―――。

 次の日にはひかりは退学し、姿がどこにも見当たらなくなる。華恋は色々な手段を取るが、ひかりは見つからない。

 時間は経ち第100回聖翔祭が近づくが華恋は舞台への気持ちが冷めていることを自覚し、身をもってひかりの辛さを痛感する。

 華恋はひかりが残した英文のスタァライトの戯曲本を訳していくが、そこで舞台とは違う展開があることに気づく。学校へと行き、かつてエレベーターがあった場所で想いの丈をぶつける華恋、すると地下の会場への道が開かれる。7人の舞台少女の想いを受け取りながら、華恋はひかりの下を目指す―――。

 

 

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感想

 ひかりとの別離を経て、華恋やひかりを取り巻いていた環境の変化が描かれた。印象的なのは、きらめきを失っていく華恋もそうだが、環境がひかりなしでも動き変わっていくことのリアリティだ。

 ひかりがいなくなることは華恋にとってはあまりにも突然で悲しい出来事だが、対外的には退学手続きをすませキレイに学園から去った人の一人という扱いで、華恋の激情と反比例するかのように、環境や社会といったものは冷たく起こったことを華恋に突きつける。

 華恋はさまざまな手法でひかりを探すが、その度に現実を突きつけられるという展開は巧みだった。先生に問い合わせても、警察に駆け込んでも、ひかりの古巣に手紙を送っても、手がかりは見つからずその度にひかりの不在を認識する。そしてそこから華恋のきらめきが失われるというロジックも面白い。華恋の再生産の原動力はひかりとの約束だ。ひかりにとっては誤算だったのかもしれないが、結果的にきらめきを奪うことになるのはなんと皮肉か。しかしそのおかげでひかりの置かれた状況を自覚するという流れは物語がしっかり連関しており、悲しい話ではあるものの展開を見ていて気持ちが良い。

 華恋はスタァライトの英文を訳し始め、舞台との違いに気づく。それは星を掴んだクレールが罰として塔に幽閉されているというもの。それをヒントにひかりはオーディション会場にいると予感し、華恋はバールのようなものでエレベーターがあった壁を叩くが、ここが一番現実を感じる瞬間だった。叩く度に壁が削れ、その奥にはただ分厚い壁がさらに続くことを思わせる描写、あまりにも非情だがリアリティを一番感じた。

 華恋の想いが通じ、学園内に電気が灯もり、エレベーターが出現。この“光”が点いていく場面もひかりを思わせ、クライマックスのテンションを高揚させる。そこから7人の舞台少女の言葉を受けながら、幕間として流れるのは『舞台少女心得』だ。「わたしたちは舞台少女」という歌詞がある。彼女たちはみな現実に生きているが、舞台の上に立てば自らを脱ぎ捨て再生産し、舞台という虚構の中に身を投じる―――ひかりを救うには現実の中で対処するのではなく、もう一度舞台の上で連れ戻さなければならないことを示唆しているような歌詞だと思う。

 また、「舞台少女は何度でも生まれ変わることができる」とは真矢の言葉だが、虚構であったとしても舞台の度に新たな真実を演者や観客が宿していく、その気持ちこそがまさにオーディションに必要なきらめきなのだと思う。だからこそ華恋は情熱に導かれ、幽閉されたクレールという真実をあばき出し、ひかりの下へと続く道を見つけられた。

 舞台という虚構、しかしそこで注がれる気持ちこそ真実を宿し、観るものを魅了する。最後のレヴューの結末をしっかりと見届けたい。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第10話「されど舞台はつづく The Show Must Go On」

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あらすじ

 オーディション最終日を知らせる着信。舞台少女はそれぞれ思い思いに過ごし。華恋とひかりは以前入れなかった東京タワー水族館へ行く。ひかりは幼い頃に交わした約束への感謝を述べ、レヴューへと赴く。

 舞台には華恋、ひかり、真矢、クロディーヌの4人。その他の舞台少女は客席から見守る。参加人数でイレギュラーが発生したため今回は2対2のレヴューに。ひかりと真矢はそれぞれ華恋とクロディーヌを指名する。

 トップスタァをかけたデュエットの行方はいかに―――。

 

 

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感想

 ついに訪れたオーディション最終日。Aパートはそれぞれの過ごし方が短いながらも丁寧に描写された。ななが純那に感化され名言を引用し変化を肯定したりと、前回からの物語のバトンもしっかり繋がっている。

 今回は華恋とひかり、そして真矢とクロディーヌの物語。前者は4話のように都内を観光する。そのきっかけになったのが、「水族館にまた行こう」という約束を華恋が思い出したから、というのも良い演出。どんなに離れたとしても、忘れかけたとしても、絶対に思い出し、巡り会う。二人の関係性を率直に表した描き方だ。お互いの髪留めを止めるシーンも印象的で、幼い頃に抱いた夢だけは変わらずに成長したことが表されていて好みだった。とはいえ不穏なところも散りばめつつ、最後に二人はあの結果となるが、それは次回への引きでもあるので、次に真矢とクロディーヌについて見ていく。

 お互いが強く惹かれ合っている、というのを華恋とひかりでは記憶という形で表現されたが真矢とクロディーヌも同様だ。クロディーヌにとっての屈辱の過去であり、舞台少女として新たに生まれるきっかけになった入学試験の日のことを、真矢はしっかりと覚えている。華恋とひかりのような約束はそこにはないが、それを記憶しているというだけで華恋たちとは違う運命がそこに表されている。

 子役としてスターダムを駆け上がるクロディーヌにとって初めての敗北が真矢という存在。そして孤高の天才である真矢にとっても対等な立場で食い下がってくる相手はクロディーヌが初めてだったのではないかと思う。だからこそずっと憶えていた。「負けてない」と敵対心を露わにされてもなお、真矢は憶えていた。忘れられるはずがないのだ。お互いにとって初めて覚える感情、そしてその対象は絶対の相手になり、レヴューデュエットまでお互いを導く。

 レヴュータイトルは“運命”。曲は『Star Divine』。『ラブライブ!』シリーズなどでも過去の楽曲を大一番に使うという手法は成されたが、本作はさらにレヴューという性質上、レヴューの出演者のみによる歌唱となっている。

 激しい剣戟の末、勝利を掴んだのは華恋とひかり。レヴュー終了後、クロディーヌは「負けたのはわたし、私だけよ…天堂真矢は負けてない」と涙まじりに訴える。クロディーヌの気持ちを想うと胸が痛くなるセリフだ。トップの成績である真矢が負けるはずがなく、もし負けたとするならそれは自分のせい―――自分の“負け”を認めてまでも真矢の孤高を守ろうとするクロディーヌのこのセリフは響くものがある。さらにその後、フランス語で嗚咽を漏らすクロディーヌにやさしくフランス語で語りかける真矢。クロディーヌの反応的に初めてフランス語を喋ったのだろう。他の舞台少女と言語的な断絶を加えることで、二人以外は理解できない会話になっていて、トップの者たちしか持ち得ない孤高が描かれていたように思う。

 そして真矢があくまで負けたのではなく、あの二人の方がスタァライトにふさわしかった、と言うのも面白い。どちらも最高のデュエットを放ち、その末に舞台が選んだのは華恋とひかり。舞台は生ものだ、という話もあるが、まさにその所以を見るような物語だった。人は変化し、関係も変化していく、華恋みたく言えば日々進化中なのだ。真矢とクロディーヌにとって結果は不本意だったが、それ以上にかけがえのない相手に気づけたことは財産だろう。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第9話「星祭りの夜に」

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あらすじ

 第100回聖翔祭に向けて制作が続く。脚本が上がり、キャストはそれぞれの衣装のアレンジを提案したりと、舞台をよりよくしようとそれぞれの想いが募っていく。そんな中、今までの再演どおりに行かないことにななは憤りを隠せない。ななの異変に気づく舞台少女たちだが、原因がわからず何も出来ない。

 道具置き場に佇むななを心配してやってくる純那。ななが選んだ“運命の舞台”を知る。

 きらめいた時を繰り返そうとするななと、未来に向かうことでさらにきらめきを目指そうとする華恋。二人のレヴューが始まる―――。

 

 

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感想

 スタァライトはどの話数も物語が上手いなと思うのだけど、この話数は今までの積み重ねを上手く昇華してるのもあってトップクラスに脚本の巧みさが光っている回だった。

 物語の冒頭から、いつもの母性に溢れ飄々とした佇まいのななはそこになく、今回は今までに“見たことない”なながそこにいた。

 レヴューのタイトルは“絆”。そして相手は華恋。未来を目指す者と過去を想う者、今まで十分に対比されてきた二人だが、今回で改めて両者のスタァライトへの想いが描かれる。華恋は、英文の“スタァライト”の戯曲本をひかりに訳してもらいながら戯曲スタァライトという作品自体への愛を新たにし、ななは別れが最後に待つ悲劇に対して嫌悪感を表す。しかもどちらも自分自身の経験や性格を投影していて、その果てに華恋は惹かれ、ななは反発しているというのが面白い。

 “絆”というテーマでレヴューが行われるが、これも面白いテーマ設定で、絆という言葉には人と人の結び付きという意味もあるが、転じて人を束縛するものという意味を持つ。ネガにもポジにも捉えられる言葉のチョイスと、華恋とななに対してこの言葉を持ってくるのはすごいなと。

 今回の物語はレヴュー以上に、ななと純那が夜の校舎で話し合うエピローグが印象的だった。

 純那はななが再演してきた“運命の舞台”を咎めたり、否定するのではなく、受け止め、そしてその上でななのことを労う。そこからななに促され、過去の偉人たちの言葉を引用していくところは示唆的だ。偉人たちは過去になったからとて、ただ終わっていくのではなくその思想は今も燦然ときらめき続ける。その言葉は現代の少女の糧となり、今なお新たに言葉が紡がれている。“負けてしまったら終わり”―――華恋とのレヴュー中にそれぐらい思い詰めていた純那がななを救うポジションになることで、この話数が純那のアフターストーリーになっているのも巧みだなと。そしてなな自身も、繰り返しの再演の中で“違うもの”を模索していたことを指摘される。

 最後に純那はボロボロの舞台ノートを指して語りかける。

「あなたが大切にしてきた時間。守ろうとしてくれたもの。全部持っていってあげて。次の舞台に。」

 ななの想い、繰り返してきた時間。全てを許し、救う言葉になっていると思う。作劇的にも上手いのは、なながかなり大仕掛けなことをしてきたけど、悪者にならないように着地させているのがすばらしい。

 最後のやりとりはななのやってきたことに想いを馳せると涙腺が緩みまくるシーンだ。ななは時間を繰り返す度に孤独が増して、その度にきらめきに届かないことを知り、でもループを終わらせることができない。そしていつしか友に敗れ、運命の舞台も断たれ、繰り返した再演は誰にも知られることなく静かに終わる。それでも今までなながやってきたことを純那は肯定し、再び始めるための原動力とすることで物語が結ばれる。ななの果てしないほどの孤独、そしてそこから救われたことを想うと涙が流れる。

 余談だけども、純那が引用した偉人の中にニーチェがいたが、彼は“永劫回帰”という思想を説いた人物だ。永劫回帰をざっくり説明すると「人の生は繰り返し流転するもので、何度も同じ時間、同じ場所で同一の経験をする」という思想。それを肯定できるかというのが議論の骨子となる。もっと砕けた言い方をすると、「起こることは全て決まっていて、新たに生を受けたとしてもそれは変わらない。それでも自らの生を肯定できるか」と言い換えられる。まるで舞台のようだ。終わらない輪舞を演じたななに対して、純那がこの永劫回帰の思想を持ったニーチェを引用し、「過去・現在・未来」のことを絡めながら、先へ進むことを肯定する言葉を伝えたのが個人的にはとても印象的だった。

【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第8話「ひかり、さす方へ」

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あらすじ

 ひかりがイギリスの王立演劇学院にいた頃。今以上に情熱を持って舞台に取り組んでいた。それも全てはキリンのオーディションを経て一変する。惜しくも2位となったひかりは自分のきらめきが奪われたことを悟る。失ったきらめきについてキリンを問い詰めるひかり。トップスタァの誕生のためには多くのきらめきが必要という。ひかりに少しだけ残ったきらめきを見て、キリンは日本でのオーディションへの参加を提案。華恋との約束を果たすためにひかりは日本でのオーディションに臨むことに―――。

 

 

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感想

 ひかりのオリジンと再生産が描かれた話数だった。見所は今回の主役であるひかりを演じる三森すずこさんの演技。イギリスにいた頃のひかりやきらめきを失ったひかり、また幼少期のひかりと様々な声色を駆使したキャラクターの変化を楽しめた。また作画も、ひかりもそんな表情をするのか、という驚きがあった。ゆえにきらめきが奪われる展開が待っていると思うと切ない気持ちになる。

 印象的だったのはひかりがモノローグで自身が舞台少女となった瞬間を語る場面だ。ひかりが華恋と一緒に舞台を観た理由が“他の子が知らない世界を知っている”という自慢のつもりだったというのが素朴かつ共感できるものだった。そこから華恋から予期せぬ返答があり、共にスタァになる約束を交わしたことで舞台少女として生まれ変わったというのが面白い。このときのひかりは鑑賞者としての自分を華恋に知ってもらおうと考えたが、華恋はひかりの思惑とはべつに、舞台を観る側ではなく立つ側になろうと子どもなりに見据える。ひかりがトップスタァを目指すそもそものきっかけは華恋がかけてくれた言葉―――のちに王立演劇学院に通う才女が、ただ一人の女の子が交わしてきた約束で自らの夢を定めるという展開に胸が熱くなった。おそらく、このときのひかりは自分がプレイヤーになるという意識はなかったように思う。そこから舞台に感銘を受けた者のおかげで夢を自覚するというのは、他者との関係性で物語を紡いできた本作らしい落とし込み方だ。

 今回は孤独のレヴュー。自分自身だけにしかわからない苦悩を抱えるひかりとななが剣を交える。どちらもキャラ性が“オーディション”と強く結びついてる二人。再オーディションやループの設定が物語の根幹と関わりがあるという風に描くのではなく、ひかりとななの個性やバックボーンの強化に使われているのが面白い。世界観や設定以上にキャラを注力して描いているのが改めてわかった。勝者はきらめきを再生産したひかり。雄々しく独り“ポジションゼロ”を宣言するが、最後にはステージ上にもう一人の姿はあるのか。