マミヤの忘備録

ラップ、映像、その他諸々について記したいなぁと思ってます。

TOKIIRO SUNRISE welcomeback SUNRIZE篇の感想

どうもmamiya(@mamiya_7)です。先日、両国SUNRIZE(@ryougokusunrize)で行われた"TOKIIRO SUNRISE welcomeback SUNRIZE"篇についての感想を記してくよ。

全体を総括した内容というよりは自分語りの備忘録なので何卒ご容赦をば。

 

現場のライブは4ヶ月ぶり、両国SUNRIZEに限ればさらに久しぶりのライブ。なかなか現実感がなかったけどリハでライブハウス特有の爆音を浴びて、頭と身体が目覚めて行くのがわかった。それからライブの実感とともに緊張を感じ始めたけど、この緊張感はそれだけこのライブが大切なんだって自覚できてる証拠なんだと思うようにした。

ライブ全編にコメントするのは長くなりぎるのと体力的に無理なので、基本的にわたくしmamiyaが歌った曲目を時系列順に書いていく。

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mamiya × TAKI ジョイントEP『never let it go』ライナーノーツ

どうも僕です。mamiya(@mamiya_7)です。ご無沙汰してます。

今回はTAKI(@RexTaki)とのジョイントEP『never let it go』のライナーノーツを綴っていくよ。

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はじめに

まずは今回の合作の発端から。

6月末から7月はじめにかけて、TAKI君から彼のall prodでEPを作ろうって誘いを受けてて、不幸以外はなんでも受け取るのが信条のmamiyaはその誘いをありがたく受諾。そこからこのEPの制作が開始になったよ。

おれが蹴りたいトラック3つとTAKIが蹴らせたいトラック3つでEPを制作するってシステムだったんだけど、お互いのフィーリングが合ってたのでほぼ関係ないシステムになった。

おれ自身の転職とかもあって制作マインドになかなか切り替わらん中だったけど、結果的にトラックの持つパワーに後押しされて、わしらの中ではめちゃくちゃ良いEPに仕上がったなという手応えを得た(実際にどう感じるかは聞き手のみなさん次第ですが)。

歌ってることが全てだから語れることも多くはないけど、出して1ヶ月経ったしせっかくだから制作秘話も交えつつ、今回のEPのドキュメンタリーとしてライナーノーツを綴っていこうと思う。

 

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【ライブ感想】挫・人間 TOUR 2020 〜さような来世!風と共に去りヌンティウス〜 in 渋谷O-EAST

ご無沙汰してます。マミヤです。

今回は題名の通り、先日行われた挫・人間のライブ『挫・人間 TOUR 2020 〜さような来世!風と共に去りヌンティウス〜』の渋谷公演についての忘備録だよ。

ライブの感想とかレポは鮮度が命と思うけど、そういうスピード感と無縁なのと、書きたいときに書くのが自分の流儀で今書きたい!ってなったから、たった今あいぽんをタップしまくってるよ。

 

自分語りしちゃうけど、そもそも今回のツアーは絶賛コロナ禍にいろんな意味で陥ってて、行けなかったはずだった。けど延期に次ぐ延期と一週間まるまる出張だったはずの仕事の予定がズレまくったおかげで、この延期ライブに滑り込んだ形になった。

もちろん当日券。若くてオシャレだったり個性を出してる女性ファンたちの中でスーツ姿のわしがいた。隅っコらしい勝手な疎外感を感じつつも、入場すると聞き覚えのあるオタクの声。

秋葉原サイファーの1st EP(完売御礼)が流れてたんですよね。先に入ったマイメンから何周もずーっと流れてることは聞いてたけど、隅っコのみんなが良い子にして着席してる中、電子ドラッグみたいな曲が虚空に響いてるのがシュール。たまたま一緒になったこのEPに参加してるマイメンたちもこそばゆい表情だった。

ちなみにイマオカマヤさんの歌う『スクセブパラパラ』が、一面マスクで沈黙している会場の空気的に一番威力があった。次回は2nd EP『沼の罠』以降の作品もぜひ…(露骨なお願い)

 

こっからは主観マシマシなレポに入るけど、自分の特に印象深かったことを書いていくのでセトリや細かい演出がどうだった、とかは他の隅っコ諸兄のレポを参照してくれよな。 

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1st EP『ill nerd thing』ライナーノーツ

こんにちは。

ブログではお久しぶりのマミヤ( @mamiya_7 )です。

 

今回は先日配信した、

1st EP『ill nerd thing』

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の解説をやっていこうと思います。

何気にライナーノーツって書いてみたかったので書くのワクワクしちゃう。

と言うことで早速。

 

 

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【ライブ感想】『挫・人間の花びら3回転〜人間やめますか?それとも挫・人間やめますか?〜*男子限定』in 新宿レッドクロス

 映画やらアニメやらの感想を唐突に上げる当ブログ。今回は初めてバンドのライブ感想を上げたいと思う。取り上げるのは表題通り、「挫・人間」だ。

 ライブ感想を唐突に上げるのも、たまたま見かけたツイートに触発されたからかもしれない。詳しい文章は覚えてないが、「盤にならないライブやイベントはレポートなどを書くことでしか記録に残らない。後世に伝わらない。だからすごいと思ったものは積極的に言葉で残すほうがいい。」

 おおむねこのような内容で、素直にそうだな、と思った。べつに今回のアクトが映像化されないと言いたいのではない(動画配信や円盤特典等になることも大いにあるだろう)。重要なのは、上記のような文言がきっかけになり、そして今回のライブを見て自分なりに言葉にして感想を残したいと思わされたということだ。

 動機としてサポートドラマーの菅大智氏が今回の3公演をもって挫・人間から抜けてしまうという感傷ももちろんある。しかしそれをもエンターテイメントに昇華した今回のライブ―――自分が"言葉"にするのは今だな、と思ったのだ。(サンシャイナー的に言えば、この楽しさを自分だけのものにしては「もったいない」という感慨だ)。

 当方、挫・人間へのライブ参戦回数は今回で3回目と、そんなに多いわけではない。聴き始めたのも「挫・人間チンポジウム2017~新曲キボンヌ~」の少し前でファン歴としても長くはない。

 一つ断っておくと、記憶力が特別いいわけではなくMC等での発言も詳細には覚えていないので、そのあたりを知りたい人は他の方の記事を探してみたほうが良いかも…。時系列順に印象的だったトピックを綴る記事なので、隅っコの一人のドキュメントとして楽しんでいただければと思う。

 前置きが長くなったが、女人禁制、男子限定、白昼夢の宴の感想へと移ろう。

 

 ハンパな体調不良によりギリギリまで自宅にいた私が会場の新宿レッドクロスに着いたのは開演2、3分前。まず驚いたのが、ドアを開けた瞬間に"ドラムセット"が眼前に見えたことだ。ロープで仕切られ客席後方を陣取るドラム。「なんでここに??」と思い、すぐに「もしかして…」という予感に変わった。が、開演直前だったので気をとりなおす。友人とのあいさつもほどほどにそのときを迎えた―――。

 入場してきたメンバーは赤パン一丁。闘魂と書かれた一張羅を衣装にしてしゃくれている。ライブ参戦回数は少ないながらも確信した、男子限定の名にふさわしい何かをぶつけるつもりだと。しょっぱなから爆笑した。

 "燃える闘魂"アントニオ猪木に扮して「Tee-Poφwy」になだれ込む。原曲はサンバの話題に始まり、妄想が展開され、脳内の女の子に捨てられ、サンバへと回帰するという内省的(?)なものだ。それが今回は猪木をテーマにし、「元気があれば何でもできる!」とGt.夏目創太氏が吠える。元気のGを感じる…。

 今回だけの特別なリリック。それに呼応しBa.アベマコト氏がダイブを敢行したり、客席という大地に降り立ち客と四つに組んだりした。

 原曲が内にある混沌としたものに対する押し問答ならば、今回のアクトは内省を終えた主人公が生身でぶつかっていく様子に見えた。それは突飛な絵面というだけでなく、原曲と地続きにある景色のように思えた。シリアスなこと言ったけど、実際見るとめっちゃ笑えるのがポイント。ちなみにVo.下川リヲ氏はプロレスに明るくないようで、序盤は様子を見守っていたのがかわいい。そうして諦めの境地に達してダーッ!となったメンバーと隅っコたちはのっけからあったまっていく―――。

 男性性を乱用する者たちとそれを取り締まる射精警察との攻防を描く「カルマポリスⅡ」、守れそうにない〆切への苦悩を叫ぶ「〆切を守れない ~無力~」、大学時代の自伝的かつ自虐的な呪詛である「人類」と、この世界の(さらにいくつもの)片隅にある地獄を立て続けに追体験した(ちなみにここらへんで、隅の方に居る人や遠くに居た人も夏目氏の号令で中心部の方へと移動―――ちなみに私もその一人だ)。そこから地獄のようなダメさをはねのけるようにダンスナンバー「卑屈人間 踊ってみた」が響く。そしてこの流れを「人生地獄絵図」で総括する。間奏のアメイジンググレイスが気持ちよくて、奏でられるギターの音色がダメな人生をそのまま祝福してくれる。地獄のようなこの人生を地獄のまんま肯定しようとする姿勢は挫・人間の魅力の一つだ。

 「もうだめだぁ!!!」という下川氏の嘆きから始まる「念力が欲しい!!!!! ~ 念力家族のテーマ」。人生という地獄を想像力で乗り切ろうとするこの歌が好きで「念力念力念力念力…」と早口で唱えるところは待ってました!とこちらも共に詠唱。しかも噛んでしまっててもはや「てんりき」と発音してた気もするが、これでいいのだ。

 挫・人間に限らないが、ライブだと印象が変わる曲がある。「webザコ」もその一つだろう。原曲だとパソコンのキーボードを叩く音から始まり、テンション高い演奏がやってくるが、ライブはキーボードの助走もなしにイントロが突っ込んでくるので、爆発力が凄まじかった。そして生で聴いてもサビがポップなのがおもしろおかしい。

 ここでMCかと思いきや突如として夏目氏がシューベルト「魔王」を歌い出し、客にもそのサビ(?)をレクチャーする。オーディエンスからの「何故だ!!!」の声は食い気味だったが、最高のタイトルコール。魔王を歌い終わるや、「何故だ!!!」が始まる。駆け抜けるようなワンコーラスだった。

 赤パン一丁の男たちはそのままの出で立ちで、一瞬のうちにアイドルへと変わる(何を言ってるわからんと思うが本当にそうだから仕方ない)。それぞれの自己紹介に移っていったが、このとき、先陣を切るまこまこりんが一番壊れていた。

 「まっこまっこりーん!」のコールアンドレスポンスに不満なまこまこりんは隅っコたちの息子をなじり始める。「ちっちゃいのう〜!(ナニがかはご想像にお任せします)」響くいい声だ。これから行われる曲の声出しにもちょうどいい。何故罵られてるかはわからないが…。

 そしてアベマコトが一番まともになる瞬間も訪れる。りおきゅんの自己紹介の合間に、正気に戻ったように「終わりだ、終わり…」と漏らすアベ氏。思わず昔話を交えて謝り出す下川氏。パンツ一丁で来るとこまで来たことを噛み締めていたのかもしれない。そう、目の前にあるのが"世界の果て"なんやもしれん。必死になだめるシーンに笑わせてもらいながらも、友人としての仲の良さを感じられる胸があったまる光景でもあった。

 そんなこんなで挫・人間驚異のアイドルダンスナンバー「☆君☆と☆メ☆タ☆モ☆る☆」。アイドルなのでメンバーは楽器を持たずダンスをするのだが、後方の菅氏のキレが良すぎるのがいやに目につく。ドラミングでも魅せるというのにここでも…。

 少女の完全変態を経て、次なる曲は「JKコンピューター」。現在の最新アルバム「OSジャンクション」で私が一番好きな曲だ。挫・人間のサウンドのいいとこどりな曲だなと個人的に思っていて、ロック、テクノ、ラップ、はたまた語りといろんなサウンドや手法で聴かせる目まぐるしさが良い。あとは世界観がSFチックなのもめちゃくちゃ好み。アルバムでは「カルマポリスⅡ」と連続することでSF感を増していた。しかし今回は「メタモる」から繋げることで、普通(の女の子)に戻ったはずが異形の者になってるというところが、アルバムとも違うストーリーラインを見出せるものになってて考えるのが楽しい。曲のオチで"普通"へと回帰していくところは原曲と同様だが、それで終わらせないのが挫・人間だ。

 本編ラストは「ダンス・スタンス・レボリューション」。夏目氏の号令でさらに前列に集められる隅っコたち。私も友人に手招きされ、さらに塊の中心に向かう。夏目氏による間奏部での"ウォールオブデス"について入念に説明がなされた。夏目氏は怪我をしない・させないことを再三呼びかけて、「不安そうな奴は、そのまま不安そうにしてろ!誰かが抱きしめに行く!」とライブ不慣れな奴を不慣れなままでも置き去りにしない姿勢を見せた。この人は本当にやさしい奴なんだなと思う。ステージでは荒くれ者だが、だからこそ暴れた数だけやさしさを知っている。

 そして実際に行われる男同士がぶつかり合う謝肉祭。勢いはありつつもやさしさに包まれていた。モッシュどころかダイブも起こったがそれすらも何だか微笑ましかった。

 無理だと自覚しながら、無理なことをし続ける勇気を讃える本曲。セトリの繋がりで言っても本編ラストにふさわしい。「JKコンピューター」で少女は成長するにつれて、悩みや痛みやあれやこれやをくだらないバグとして処理するが、「ダンス・スタンス・レボリューション」ではそのバグこそがスパイスになる。自分は思春期という歳でもないし、そもそも少女であったことすらない―――でも、勝手に心に巣食う臆病な自分を、ニヒルな自分を、少女な自分を革命してもらうためにラストにこの曲が持ってこられたように思える。オーラスのメロディが大好きで、声と身体で一体になるのが楽しかった。

 メンバーがはけていく中、挫・人間を呼ぶ声は止まない。アンコールに応え、もう一度勢いよく飛び出すメンバー。そして最後の最後は除霊だ―――。

 レッドクロスに入ったときに覚えた予感が現実になる時が来た。下川氏の段取りミスもありつつ(お茶目)、菅氏が客席後方のドラムへと導かれる。菅氏が颯爽と中央に行く姿は、アイドルが花道を通りセンターステージに向かうようだった。というか、この時のアイドルは菅大智で間違いなかった。メンバー三人と違い新日プロレスのシャツを着た菅氏が仕切りの縄をくぐり入場。そう、覚えた予感とはこれだ―――菅大智のドラムを真近で体感できる。ありがとう、と始まる前から感謝していた。

 入場した菅氏はレスラーのようなムーブをして一言―――「私は元々こういう人だ!」いじりにアンサーを返しただけなんだが、この姿があまりにも"挫・人間"だった。それは正規メンバーとかサポートとかってことではなく、概念としての"挫・人間"を体現してるように思えた。映画などの終盤で、主人公が表題やテーマを示すシーンがあるがあれに近い(「I am IRONMAN」とかかっこいいよね)。

 普段の除霊は各々の初恋をみんなで成仏させる、というイベントなのだが、今回は特別に菅氏をちゃんと送り出すことを念頭に据えられている。といっても、そのためには各々のパワーが必要なので結局初恋の人の名前を叫ばにゃならんのだが。

 わけわからんように見えるが、これも大事なプロセスだ。アンコール前のMCで下川氏は唯一知っているという猪木の言葉を口にした。「ピンチというのは大きなものに見えるかもしれないけど、実はそれは小さな出来事が集まってできてるからそう見えるだけ。一つ一つをどうにかすればピンチなんてどうということはない。」こういった主旨だった。この言葉に則するように、隅っコたちそれぞれの初恋という悲劇を天に送ることで、"挫・人間"というバンドの危機をも乗り越えてしまおうというのだ。

 そしてレッドクロスにいる人々の雄叫びをイントロに「下川最強伝説」。やっぱり光景がすさまじい。会場中の視線が、フロントマンでしかも曲のタイトルにもなっている下川氏ではなく、その真逆に位置する菅氏に注がれる。下川VS世間ならぬ、菅VSレッドクロス状態だ。ドラム周辺の仕切りはさながらしめ縄のようになり、神事のような雰囲気を帯び始めていた。

 自分は真近でドラミングを体感したが、すさまじかった。荒々しいのに崩れない。スティックが折れても即座に予備のものを手に取りテンポが狂わない。これが今まで挫・人間を支えたリズムなのだと涙腺が緩んでしまった。

 縄をくぐってやってきた夏目氏の煽りで共に拳を掲げたり、同じく縄の内側に来た下川氏の号令で共に羽ばたいたりとメンバーのアクトも祭を楽しむようで湿っぽさはなかった。あるとすれば、その成分はほとんど汗だった。

 アクトが終わり、男女混合ライブのために足早に去っていく挫・人間。不思議と喪失感よりも充足感を得ていた。それはシンプルで「このライブに来てよかった」という気持ちだ。

 

 男子公演だけの参戦だったので感想はここまで。この先、挫・人間がどうなるかはわからない。しかしバンドのピンチをここまでに昇華したのだから、この先もまだまだ楽しめるに違いない。

 挫・人間はジャンルを分類しがたいところがある。パンク、オルタナティブ、いろいろな側面を持つように思うが、正面からこれだ!と言えない。しかしその王道ではなく、我が道をひた走るところに惹かれるのだ(最近のトレンドで言えばアストレイとも言えるか、奇しくも会場名に"紅"がつくし)。ともかく、規定されない挫・人間だからこそ新しい体制でも楽しませてくれることを予感してしまう。

 記事を締めよう。まず、こんなライブはそうそうない。少数精鋭(by夏目氏)の一人としてこの場に居合わせたことは本当に奇跡だった。この日に挫・人間がライブして、しかも菅氏が脱退する日で、その場の少数精鋭の中に自分がいて、といろんなものが重なったからこそ観ることができたアクトだった。この日の少数精鋭の一人として、こんなすごいライブがあったということを伝えたくてキーボードを走らせた。少しでも伝わったなら幸いだ。

 最後に、挫・人間のみなさま、集まった隅っコたち、新宿レッドクロスのスタッフのみなさま、そしてDr.菅大智さん、めちゃくちゃ楽しいライブでした。本当にありがとうございました!

【映画感想】『クリード 炎の宿敵』"承認される"だけではなく"承認する"物語へ

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クリード 炎の宿敵 / Creed II

監督 スティーブン・ケイプル・Jr.

キャスト
マイケル・B・ジョーダン アドニスクリード
シルベスター・スタローン ロッキー・バルボア
テッサ・トンプソン ビアンカ・テイラー
フィリシア・ラシャド メアリー・アン・クリード
ドルフ・ラングレン イワン・ドラゴ
ロリアン・“ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ ヴィクター・ドラゴ

 

 

あらすじ

 ヘビー級王座を勝ち取ったアドニスは試合後にビアンカへのプロポーズを成功させる。夫婦となり互いの活動も順調な中、ビアンカの妊娠が発覚。

 守るべき者ができ、背中を追われる身となったアドニスにチャレンジャーが現れる―――それはかつて父・アポロを死に追いやったイワン・ドラゴの息子・ヴィクターだった。

 果たしてアドニスは王者の重責に耐え、家族への想いを守りきることができるのか。

 

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【アニメ感想】『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第12話「レヴュースタァライト」

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あらすじ

 ひかりの運命の舞台。それは戯曲“スタァライト”を一人で演じることだった。共演者もなく、裏方もなく、キリン一人を観客とし、ひかりは石を積み上げ、それが星によって砕かれるシーンを繰り返す。

 やって来た華恋は、誰のキラめきも奪わないために一人、孤独に芝居を続けるひかりを見て涙を流す。たまらず言葉をかける。

「帰ろうひかりちゃん。私たちの“スタァライト”はまだ始まってない!」

 「どうして会いに来るのよ、会いたく、なっちゃうじゃない」

 芝居が止まり、舞台装置は動き出す。

 “スタァライト”を始めるために、最後のレヴューが開演する―――。

 

 

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感想

 外界の様子も要所に入れつつも、基本的には華恋とひかりの“スタァライト”が描かれた。

 賽の河原のように小さな星を積み、そのたびに大きな星に砕かれるというシチュエーションは、共演者もなく、裏方もなく、観客もなく、独りで舞台を演ずる主演―――死せる舞台少女としてあまりにもはまりすぎていた。

 本作は“繰り返し”というモチーフを要所に入れ込んでおり、最終話も例に漏れない。賽の河原のように星を積み上げる場面もそうだし、それに付随するフローラとクレールの台詞もそうだ。この“繰り返し”はゼロになってしまうことだけを描いているわけではない。同じ動きをしながら、しかし高みへと行く螺旋階段のように“積み重ね”も同時に描かれている。それは華恋とひかりのシーンだけではなく、今回の鍋パーティのシーンでも表現される。まひるがひかりの好みを熟知していたり、クロディーヌのフランス語を純那が聞き取れたりとそれぞれの素朴な成長を通して、日常という変わらないルーティンの中で変化し前に進んでいることがわかる。

 そしてレヴューシーンでも当然、“繰り返し”と“積み重ね”が描かれ、レヴュータイトルも“星罪のレヴュー”から再生産され“星摘みのレヴュー”となる。ここから戯曲は様変わりする。願いを叶えるために星を摘み、その罪によって想い人と離れることになった悲劇から、想い人と離れたとしても幽閉された塔へと立ち向かう物語になる。同様に華恋とひかりのレヴューも変化し、さらに2人だけでなく、オーディションの意味合いすらも再生産が成される。舞台少女たちがライバルの“キラめき”を自らの願いのために奪い合う罪人たちの物語から、互いに高め合い“キラめき”を灯し合う物語に昇華している。

 舞台少女の罪を一身に背負うひかりの覚悟、その象徴とも言える片割れの塔。そこに向かうため自らをさらに再生産した華恋のキラめきに呼応して東京タワーが現れるシーンは圧巻だ。“約束タワーブリッジ”―――二人の思い出の場所を、罪を背負い塔に幽閉されたひかりのもとに上るための舞台装置とすることで、観ているこちらも共鳴し感情が高ぶった。そしてまだ観ぬ物語―――再生産された“スタァライト”が披露される。

 ひかりのもとまで来た華恋は、ひかりが自分にとっての“舞台”であることを告白する。“舞台”とは他者との連帯があって初めて生じるものだ、それが一人芝居であったしても。役者の演技はもちろん、裏方の働き、観客の視線、様々なものが連関して初めてステージを織り成すことができる。

 演者が舞台に立つのは自らの夢のためだ。しかしそれは裏返せば誰かのためでもある―――その誰かが舞台少女たちにとっては運命の相手とも言えるだろう。それを今回の“再演”で舞台少女それぞれが自覚した。自分をキラめかす相手、自分がキラめかせる相手、それを自覚することで繰り返す日々の中で刺激し合い進化していった。

 “舞台”とは人と人とが織り成す関係性の中で紡がれるもの―――それをひかりとの再会、そして消失を経た華恋が自覚して、“スタァライト”を新たに生まれ変わらせる。舞台少女たちの関係を強く描き出し、彼女らの関係の中で編まれてきた物語だからこそ出せた結末だった。

 最後に少しだけ、観客としての言葉を添えたい。先にも書いたが舞台にはキャストやスタッフだけではなく観客も必要だ。それはキリンが劇中でも端的に述べていた。辛い物語であっても観るものが“求める”からこそ彼女らは演じる―――観るこちら側にもその責任を、つまり罪を背負わせるということだ。罪を自覚しながらもその先が観たい、良い結末を迎えて欲しい、とわたしは“望んだ”。そして観たい結末を観せてくれた、そのことに感謝したい。